#7年ぶりでも親友ずら
- toshiki tobo
- 2021年4月18日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年4月20日
今日は昨日のお話のちょっと続き。
昨日伝えたかったことは今日の記事でまとめてみた。
是非ご覧いただきたい。
"旬"のお話を幾度かこのブログでしてきた。
昨日のお話もちょっとそこに通ずるところがあって。
以前僕が記事にしたのは、
波があったら乗った方がいいとか、
波の上でうまくバランスを取り続けることが重要なんだよなぁ
ということだったんだけど、
昨日のお話はちょっと違って、
乗った"波"が終わっていることに気づいていない怖さが
あるよねというようなことだった。
"乗った波は本当にまだ波なの?"ということ。
知らないうちに浅瀬に打ち上げられていた!
なんてことになっていないかと
懐疑的にさせてくれるようなお話だった。
例えが得意じゃないけど、アレと似ている。
卒業式の帰り道。
友達との時間が名残惜しくて、離れ難くて。
気づいたらひとり、またひとりとそれぞれの道に進んでいて。
で、残ったのは自分だけだった。
"共有すべき感情の波"と言えばいいのかな。
表現が難しい。
乗りやすい波だけどこの波は乗った後が難しい。
この波に関していえば、目の前にあっても
見送る必要もあると思う。
彼女は喜びの瞬間にそれを感じていたようで。
「危ない!早くに逃げたい!」
そう思うことがあったという。
つい乗ったけど、危険な波だと察したようだった。
自分が処理できないほどの喜びが押し寄せてきたとき
ぬか喜びに終わるなんてことになりかねない。
まわりはとっくに冷めていたのに自分だけが
まだ湯につかった状態。
自分を何かに利用するために、
人工的に波が作られて乗せられようとしている恐怖。
怖いことだ。
大きくなって、自分の気持ちに着せてあげる言葉が
たくさん増えた。
昨日は彼女と今までにはできなかったであろうお話ができた。
言葉を覚えることってとても大切。
相手に感情をぶつけるだけぶつけて
「察してよ!!」と暴力をふるうこと
をなくすひとつの手段だと思う。
今の自分はどうで、周囲はどうで、といったことを
一度言葉で表現してみることで、
置かれている状況の正確さはより一層高まるものだと思う。
"相手の立場に考えて"というのも
結局は状況を頭で考え言葉で整理することに近しい。
"言葉を覚えることでまだまだ自分は
変わることができるのかもしれない"
そんな希望も感じた素敵な再会でした。
彼女が開いた工房"LITTLE PRESS STUDIO"で
多くの人が実りある時間をこれから過ごしてほしいと
願うばかりである。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
話の大半は、覚えてないです。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。




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