top of page

#責任

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2023年7月23日
  • 読了時間: 2分

昨年の7月、僕は満身創痍でベットに臥していた。参院選の終わりとともに食中毒にかかり、それに続けてコロナに罹患した。信仰はないが、神を呪った。


大好きな夏の始まりを、ベットの上で過ごすことを余儀なくされ「どうして」という虚しい独り言も、蒸れた空気におしつぶされるようにして消えていった。カーテンの隙間から眩しく射す西日が、心まで鋭く焦がすように感じた。痛かった。


他人事を減らしたら自他の境界わからなくなった。必要以上に痛みを味わったり、背負う必要のない責任を背負ったりすることが増えた。頭が牽制をかけても、心がいうことを聞かず、体が勝手に動いてしまっている。なんとかなると笑ってみても、しわ寄せは突然やってくる。堂々巡りを繰り返し、学ばない人だとつくづく思う。というより、思い知らされる。


人の死を耳にした時、自分の中のすべての時が止まる。もちろんすべての死に対してではないけれど、ある種の死に対しては、自分には何かできることはなかったのか、と苦しい気持ちや悔しい気持ちで心をいっぱいにする。背負う必要あるのか?と疑問にもちながら、責任を背負っている。


誰かの役に立ちたい、楽しませたいという強い自分本位の欲求は、いつからか自分の使命だと思うようになり、そうせねばならない責任感に苛まれることが増えた。手放すべき責任だとわかっているのにそうすることができずにいる。


今はまだどうすることもできずにいる。とても、とても、もどかしい。自他の区別をつけたくはないけれど、相手もそうしたいとは限らない。それに、そうすることが自分にとってよりよいものであるとは今は言い難い。相手の心に共鳴するように、目に見えないものを受け取っては苦しんでる自分がいるから。他人に向けられた言葉に自分が責任を感じ、一喜一憂するのは流石に度がすぎてることはわかっている。


ある人はそれを優しさと言うけれど、僕はそれを自惚れだと思っている。


元気なときにできる限りを尽くしたいと願ってやまないけれど、過ぎたるは及ばざるがごとし。自分によく言い聞かせなければならない。年々、面倒な存在になっている自分をどうにかしたい。甘えかもしれないけれど、もう少し自分のことを大切にしたい。


7月は一旦立ち止まって考える、そんな期間であることを忘れずにいたい。







Commenti


bottom of page