#ともに
- toshiki tobo
- 2023年1月1日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年1月3日
笑った分だけよく泣きます。「泣きぼくろのせいだよ」と小さな頃、2つ上の姉にしばしばそう言われました。口が達者な姉に口喧嘩で負けるたびに、罵る言葉を意気地になって覚えたものです。言葉をたくさん覚えさえすれば、こんな悔しい思いをしなくてもすむ。そう思ってやみませんでした。
大学生の頃、バイト先に時折現れるクレーマーに対抗すべく、「正しい」と思われるものを片っ端から調べていました。マナーや常識、法律や哲学など、当時の僕は相手の口をふさぐために執拗に躍起になっていました。これのみ読むと、僕自身もクレーマーの素質がありそうですね。怖くて涙がでました。でません。
あの頃から随分と時が流れましたが、今も悔しい思いをしてばかりです。言葉を覚えただけじゃ足りなくて、それをうまく引き出せないと意味がないことを思い知らされる毎日です。そもそも、この世界には言葉が多すぎて、自分が満足をするだけの言葉を咀嚼することなんてあまりにも無謀で滑稽なことです。知らない部分は自分ののびしろだと思えるぐらいの心の余裕があればよいですよね。
かつては相手を打ち負かしたり、自らの見栄のために集めていた言葉ですが、歳を重ねるごとに、誰かと一緒に居続けるために集めたいと願うようになりました。大好きなお喋りを、大きく膨らませることができたら、ずっとずっと一緒にいられると思っているからです。ネガティブなことを伝えなくてはならない時でも、よりよい言葉の選択ができれば、自分も相手も傷つかずに済むかもしれませんよね。むしろ心地のよい空気をつくり出すことだってできるかもしれません。
正論がいつでも最適な答えとは限りません。なんとなく丁度よい、正解かはわからないけど、間違ってはなさそう、というラインを狙ってゆくのがいいかもしれませんね。それは決して曖昧にしてしまうことではなく、その場に見合った適切な意志の形を表現する試みだと思います。そうするためには、几帳面とズボラの両極端の自分をうまく擦り合わせ、よい塩梅に落とし込む訓練が必要です。「ま、いっか」の自分が錬成されれば、きっとよい兆候だと思います。
僕は人と歩む人生を選びたいです。それは、人が好きだからです。誰かと関わり合いながら、泣きながら笑ったり、怒りながら悲しんだり、頭が爆発してしまいそうなくらい訳のわからない人生を棺桶に入る最後まで続けたいです。いつまでもスーパーで母親にお菓子を買ってもらえなくて駄々をこねる少年のように、無邪気に、天真爛漫に、どんなものにも縛られることなく、人とともに生きてゆきたいです。人とともに、というよりも、あなたとともに生きてゆきたいです。
2023年も海にボトルシップを流すような、とりとめのない試みを続けるわけですが、僕の隣で離れゆくボトルシップを一緒に眺め続けてくれる人がいてくれるとちょっと嬉しいです。どこへ流れ着くかはわかりませんが、というより、どこへも漂流しないかもしれませんが、することに意味があるように思われます。
ボトルシップを眺むまなざしに涙の形を見かけたら、そっと肩に手をおいていただけますか。そうしてもらえれば、なんとかなりそうな気がします。お返しに、あめをあげます。
さて、足の踏み場のわからぬ雑多なこの備忘録ですが、今日もまた遊びに来てくださる方がいらっしゃることに、心からのありがとうを送ります。ここへ遊びに来てくださるみなさんにとって、ちょうどよい、なんとなく心地のよい場所が見つかる年になりますように。願いとともに心からの感謝の気持ちを送ります。
それでは、本年もよろしくお願いいたします。どうぞ、末長く。

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