#正直者
- toshiki tobo
- 2023年5月22日
- 読了時間: 3分
スラックス制服を選択する学生を目にする機会が増えました。今まではスカート一択だった選択肢が広がり、今の自分の気持ちに合わせて着たいものを選べる自由は、本人をより魅力的に見せるものだと思います。周囲とは違うことでいじめが起こるのではないかとの心配の声もありましたが、僕が今まで見かけたスラックス制服の学生は、皆楽しそうに友達と共に過ぎ去って行きました。世界はどんどん変わっていて、暗いことばかりではないようです。エネルギーを使うなら、楽しく変わる方に使いたい。
マイノリティにはいつだって説明責任が課せられています。マイノリティという言葉はしばしばジェンダー問題に対して使用されますが、社会のなかにはそのほかにも、からだが不自由な人、心が繊細な人、病を抱えた人、日本国籍をもっていない人、などなど、いつだって少数派は存在しています。そして、彼ら/彼女ら(they) はこの社会で生きてゆくために、マジョリティに対して自分達の説明をした上で存在を認めてもらはなくてはなりません。常にマジョリティ基準の社会でマジョリティによるジャッジを甘んじて受け入れなければならないのです。時には感謝だって必要で。立場が弱い人たちがいつでも負担が多くて当たり前な風潮なんて変。そんなのおかしいに決まってる。
朝の通勤の様子を見ていると、それはまるでベルトコンベアのようです。そこでは、人は輸送される”もの”同然です。「会社へ向かっている」と皆一口に説明するかもしれませんが、そうは思いません。あの状態は輸送です。会社へ輸送されているのです。なぜなら、あの空間に思考をまるで感じないからです。これがきっとマジョリティの現在地で、かなりデフォルメされてはいますが、わかりやすい社会の縮図なんだと思います。気を抜くと飲み込まれそうになります。
話は変わりますが、僕は、自然の中で揺れているものが好きです。風にそよぐ草花や、リズムよく押し引きする波、ろうそくや焚き火の炎などを見るのが好きです。近頃は初夏のような陽気の日もあり、耳の中を転がるような風鈴の響きが恋しくなってきました。そこには余計な力がなく、誰しもに寄り添うような優しさと癒しがあります。
ここ数日、以前お付き合いをしていた人のことを頻繁に思い出します。その人は独時なリズムをもった人で、ゆらゆらとした自然を感じられるようなところがありました。きっとそういうところに惹かれたんだと思います。ベルトコンベアの外側にいたその人に社会人になりたての僕は癒しと安らぎを求めていたんだと思います。
そして今ふたたび、僕は自然を求めているんだと思います。それは、木とか花とか海とか土とか川とか、そういう物質的なものではなくって(もちろんそれらも大好きではあるが)、万物のありのままの状態・姿・性質のことを指しており、僕はそれを求めているんだと思います。人であれば、その人の意思や思考のことを指し示すのかもしれません。ここまで書いてきて何かぼんやり、頭の中にそういったことが浮かび上がってきました。
生きやすい社会にしようと躍起になりがちですが、生きやすい状態になることで、社会が自ずと変わってくるのではないかと最近は思います。それは、決してマジョリティに加担するということでも、こだわりや意思を捨てるということでもなく、今の自分の気持ちに従っては...?ということです。自分の心身の状態は他人の方がよく分かっているなんてことはザラですが、自分の気持ちはいつだって自分自身が一番の理解者です。もっと自分の気持ちに正直に、自分の気持ちを大切にしてあげてもいいのかもしれませんね。その方が絶対に魅力的。
選択(洗濯)の自由は?...志村ッ!!を思い出し、骨の髄まで山梨県民だと思い知らされた最近の僕の考え事でした。

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