#祖母の夢
- toshiki tobo
- 2023年1月22日
- 読了時間: 4分
更新日:2023年1月23日
亡くなった祖母が夢に出てきました。実家にいたとき同居をしていた父方の祖母です。あまりにも自然で、それが夢であったということがむしろ不思議なくらいでした。ですが、どんな顔をしていたのか、何をしていたのか、ほとんど思い出せないのです。何かを僕にお話ししてくれていたような気がするのですが、今となってはすりガラスの向こうを覗くような、曖昧な輪郭しか思い出すことができないのです。夢の続きを見たいと欲をかき、二度寝などしなければよかった。
起床と同時に検索エンジンで夢占いを調べてみました。しかし、「亡くなった祖母」というキーワードだけでは、その夢が何を暗示しているのかを特定できませんでした。話の内容や、状況、祖母の表情で占い結果がまるで違うのです。なんとか思い出そうと努めても、祖母が僕に注意しようとしていたような気もするし、褒めてくれていたような気もします。中途半端に検索をしスマートフォンの画面を消しました。
祖母は僕が中学2年生のころ亡くなりました。4月の終わりのことでした。たしかそうだったと思います。あんなに衝撃的な日であったのにもかかわらず、正確な時を自信をもって思い出すことができないことに、人の記憶の脆さというか、儚さを感じます。決して蔑ろにしているわけではありません。当時の感情ばかりが記憶されているのです。
祖母は人の世話を焼いたり、尽くすことが好きな人でした。心配性でもあり、用心深い人でもあったような気がします。僕のお節介さや、ゆきすぎた人情家なところは少なからず祖母の遺伝だと思います。
小さなころはずっと祖母と一緒でした。祖母が畑にゆけば、その後を着いてゆき、木曜には祖母の寝室で一緒に渡る世間は鬼ばかりを観ました。朝、焼き上がったトーストに押し込むようにバターを塗ってくれたこと、納豆があればかき混ぜてくれたこと、お味噌汁が熱ければ器を入れ替え冷ましてくれたことをよく覚えています。祖母の友人がふらっと遊びにきては、一緒にお茶と漬物を出し、座って話を聞いていたこともありました。本当に祖母が大好きでした。これからもずっと一緒だと思っていました。
祖母は僕のことをよく褒めてくれました。「てっ!えらいじゃん(すごいね)!」と、今よりもずっと風変わりだった児童期の僕をどんなときでも誇らしく褒めてくれました。ときには、怒られてむしゃくしゃし、祖母の部屋をゴチャゴチャに散らかしたときもありました。それでも、祖母は僕のことを優しい子だと言い続けてくれました。とことん甘やかされていたなと思います。
小さなころ、僕の家の畑には、りんごや柿の木が植わっていました。それは、僕と姉がより多くの自然と触れ合えるようにと祖母が植えてくれたものだと、昨年父から初めて聞きました。広い畑を造っていたのも、より多くの体験をさせたいという祖母の願いがあってのことだと聞きました。祖母が僕たちの誕生を心から待ち望んでいたことを知り、込み上げるものがありました。小さな頃は気づくことができませんでしたが、実家の至る所に、祖母は愛情を埋め込んでいたのですね。とはいえ、地元は山梨の片田舎です。自然などありあまるほどです。それでも祖母は、祖母なりの自然を造りたかったんだと思います。それを思うと、当時の祖母がどんなに胸を高鳴らせていたか容易に想像がつき、その様子を可愛らしく感じています。
今や祖母のいない人生の方が長くなってしまいました。今の僕を祖母がみたら、なんというのでしょうか。あのころのように褒めてくれるでしょうか。ぐずぐずに鼻水を垂らし咽び泣いていたら、エプロンから、あの綺麗かどうかもわからぬ使い回しのティッシュを取り出し、僕の顔を拭ってくれるでしょうか。なんだかたまらなく、祖母に逢いたくなってしまいました。
僕は夢の中の音を覚えていたことがありません。むしろ、覚えている人などいるのでしょうか。夢で見た祖母も、たしかに何かを話していたのですが、いつものごとく、その声を思い出すことは叶いません。遠くの記憶を辿っても、祖母がどんな声だったのか、もうはっきりとは思い出せません。なんとなく、こんな感じだった、と記憶の中でチューニングを合わせるしか祖母の声を再現することができないのです。ですが、あの声にこもっていた陽だまりのような優しさと温もりは、今でもはっきり覚えています。
それにしても、祖母は夢の中でなにを話していたのでしょうか。
珍しく日記のようになってしまった最新の僕の備忘録でした。

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