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#あなたが私にくれたもの

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2024年1月26日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年2月2日

サプライズはするのもされるのも好きです。驚愕とか驚きとかそういった和訳をみるといささかギャップを感じます。サプライズという言葉には、もっとこう、なんというか、嬉しさや喜びがつまっているように僕は受け取っています。


JITTERIN'JINNがプレゼントをリリースしたのはバブル真っ只中の1990年。カラオケでの騒がしい定番曲ですが、ふと歌詞に目を通すと途端に哀愁が漂います。日本人に馴染みの薄かったR&Bで天下人となった宇多田ヒカルが、七回目のベルで受話器を取ったのは1999年のバブル終焉期。最近いつプライベートで受話器を取っただろう、と記憶の際まで足を運んでみましたが結局は思い出せずじまいです。そんな時代もあったねと、と中島みゆきが歌ったのはさらに24年の歳月を遡ります。新しい時代の幕開けは、ひとつの時代の終わりでもあります。無双状態だったTSUTAYAやヴィレヴァンも閉店が相次ぎ、親しみ深い平成が終わろうとしています。




昨日の昼の話です。スーパーに行きセルフレジで商品をスキャンしていた時のことです。値引きされた商品の取り扱いに悩んでいたところを大学生ぐらいの店員さんが「それはこちらで」と有人レジへ誘導してくれました。ひとつひとつ丁寧にスキャンをし僕の持っていたエコバックのなかへ綺麗に商品を納めてくれました。この粋な計らいもひとつのサプライズのように感じました。


その日の夕方、大学時代の恩師から一件のメールがありました。少し前に出席した母校での講演会のお礼のメールでした。メールには学生からのコメントのデータが添付されていました。手書きで書かれたひとつ一つを嬉しく眺めては、10歳も歳下の学生に背中を押されたような気持ちになりました。いつかテレビで見た、育児は育自、とドヤるコメンテーターが刹那にフラッシュバックしましたが、これも予期せぬサプライズとしてありがたく受け取りました。




形あるすべてのものは等しく終わりへとむかいます。しかしながら、思いや心意気、優しさとともにむけられたまなざしは時代を超越した普遍性を孕んでいるように思われます。古きも新しきもなく、いつだって平等で公平にそこにあるように思われます。


ものを介すると気持ちを伝えるハードルは下がりますが、伝わらなかったり、意図せぬ解釈を生じさせる可能性もあります。ものの方がインパクトが大きい場合もありますからね。


死語とも呼べる時代を象徴する言葉で溢れかえるJITTERIN'JINNのプレゼントですが、心の機微に関するフレーズはなおも血の通った言葉として胸に響きます。七回目のベルだって今でも突然かかってくるような鮮度があります。


収集がつかなくなってきたので、なんだかそういうものを大切にしていきたいですね、となかば投げやりな気持ちで今日はお暇いたします。




溜め込んだ下書きをえいやとほったらかして、意味のわからない文章を今年最初の記事としてとりあえずアップします。本年はいい年になりそうです。根拠はないです。











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