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#巡り合わせと縁

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年10月30日
  • 読了時間: 3分

ハロウィンのようなイベントを見ては自分とは縁のないものだと思う。夏の花火やクリスマス、バレンタインデーなども気づけば毎年終わっていたりもする。クリスマスは嘘だ。イルミネーションが綺麗だからひとりわざわざ見て歩いたりしている。カップルのセルフィーにしれっとチーズで写り込む。なんてことは、ない。


コロナ禍での4度目の冬を迎えようとしている。この4年弱で様々なマスクを着用する機会を得た。布マスク、ウレタンマスク、各種不織布マスク。これほどマスクのことを調べる日が来るとは思わなかった。素材だけではなく、サイズや厚さ、息のしやすさなど頭がおかしくなりそうなほど調べ上げた。それでも色選びは楽しかった。イエベ春とか、ブルベ冬とか、そんな言葉に右往左往させられながらも周囲の目を気にせずに大好きなピンクをつけられたことは嬉しかった。以前は白とグレー以外は恥ずかしくてつけられなかったが、今は何でも気に入ったらつけている。


コロナは忘れかけたあの人や疎遠になったあの人をしきりに思い起こさせた。いつも以上に誰かの幸せや健康を祈る日々が続いた。ただでさえお節介な僕の老婆心を必要以上に掻き立てた。昨年以来手紙を書くことが格段に増え、返事はないかと毎日ドキドキしながらポストを覗いていた。年賀状も再開した。モノのやり取りの奥ゆかしさを改めて実感する機会となった。たとえ返事がなかったとしても、あまり気にならない。届いたことに安堵する。手紙の場合は、返事を受け取ることではなく、送ったということに楽しみがあるような気がする。母校の高校の先生からの返信は特に嬉しかった。10年ぶりに先生の字を見て感極まり涙が溢れた。これもまた縁だなと感じた。


SNSを通じて仲良くなった友人も増えた。SNSがなければかすりもしなかった互いの世界線が偶然にも交差する。直接顔を合わせたことのない友人と電話をしたり、やりとりをする。グループLINEなどもできた。まるで昔から知っていたかのような、ずっと友人だったかのような不思議な感覚を覚える。現実世界でたまたま出会い仲良くなる人とはまた違う魅力を感じる。あくまでSNS上で、「自分と似たような人だと判断し仲良くなる」ため、肩の力が抜けて気楽だ。そして、互いに支えあり、連帯をする。家族のような、部活のような、でもしっかり赤の他人であることが、距離感としては心地よい。干渉と不干渉の境界線はまったくないけど、適度に踏み込み適度に一歩下がりながら続ける関係は悪くはない。


偶然とか運命とか、そういうものはよくわからないけれど、様々なことは巡り合わせだとは感じている。知らずの間に自分自身の意思が、それらを受け取ったり受け取らなかったりと勝手な選択をしている。気分が前向きであれば、受け取る選択を多くするであろうし、後ろ向きであればまったくしないかもしれない。そういうことを踏まえると、たとえ腰が重くとも、前向きな生き方を継続させてゆきたいなと思う。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

遅めの夏休み最終日の今日は幼なじみのアリサの誕生日を友人のマサキくんと祝った。アリサの誕生日から1ヶ月が経過しようとしている。初めて西荻窪へ降り立ち、ケーキを食べ、大きな声で笑いながら荻窪まで線路沿いを歩いた。夕暮れ時に見られたマジックアワーにうっとりしながら、幾枚もの写真をスマートフォンへ収めた。帰宅してから何度も見返し、今日という日が本当に素敵な1日であったことを心から嬉しく思う。帰りの電車の中で2人へ「いつもありがとう」と伝えたら「死ぬの?」と返ってきた。そんなわけなかろうがい。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。






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