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#たとえそこでは1人でも

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年7月1日
  • 読了時間: 3分

季節を巻いて夏がやってきた。

灼熱の毎日に全身の毛穴はぐうの音も出ない。

夏は好き。だけどもこれは、待ち焦がれていた夏?


今日の備忘録、タイトルをどうしようか

少しだけ悩んでた。

はじめは、ゆで上がったカエル、とか、

死の舞踏、とか、そういうものにしようと考えてた。

でも、それではあまりにも、暗く、悲壮的で

なんだかちょっと違うような気がしてね。

とはいえ、内容はそんなに変わらないけれど。


状況が悪化したとき、すごく後悔したり、

そうなる前に何も手を打たなかった自分を

責め立てたりすることってあるよね。

僕自身、少しだけある。ときどき。


今でも鮮明に覚えているのは

高校1年生の頃のできごと。


高校へ向かう朝の電車。

雨がふる梅雨の時期の朝のこと。


地元の山梨は人口が少ない。

電車は1時間に2〜3本。

朝の通勤時間でも車内はかなり広々としている。

古いレールの上をボックス席のある車両が

がたんごとんとしっかり揺れながら走る。


実家の最寄り駅は無人駅で、

毎朝同じ顔ぶれが並んでいる。


そのうちの1人に足の不自由な女性がいた。

両手に肘まで支えのある杖をもってた。


毎朝なんとなく心配そうに見ていたけれど、

その日、女性は電車の中で大きく転んだ。

滑り止めのない古い車両で杖はコントロールを失い

音を立てて女性は倒れた。


手を出す人はいなかった。

女性は自力で立ち上がり、席についた。

恥じて、顔を伏していた。


僕は何もできなかった。

ただただ、傍観しているだけ。

体が動かなかった。

誰かが助けるだろうとすら思ってしまった。

恥ずべきなのは、僕の方だ。


杖が床をすべり、女性が倒れた、

キュッ、ドンッ、という鈍く心地の悪い音が

記憶の中で蘇る。


今でも忘れられない記憶で

忘れてはならない記憶。


できたのに、しなかった。

それがただただ悔やまれる。

10年以上経った今でも、

たった1〜2分の出来事を忘れられずにいる。


来週、参院選がある。

僕はあの時のようは後悔はしたくない。

傍観者にはなりたくない。


たとえ、望んだ結果を得られずとも

今の状況に一石を投じたいんだ。


いつか今の世界を羨むような未来が訪れるかもしれない。

こんな世界でも、あのころはよかった、なんて

ついそう口からでるような未来が訪れるかもしれない。


僕はそんなの嫌だ。

だから、たとえ1人でも、大きなことはできずとも、

できることはしたいと思うんだ。


会社で選挙の話をしてみる。

Instagramで情報を発信してみる。

家族と政治の話をしてみる。


今の僕の精一杯をやってみる。


来週、初めて選挙のイベントやデモに参加してみる。

1人だけども行ってみる。正直、不安。

でも、きっとそこには同じ気持ちのひとが

たくさんいるはず。

楽しく過ごせたらいいな。


僕たちは、一票を投じることを託された。

そして、その一票をもって

希望を、夢を、愛を、候補者へと託す。


どんな一票でも、それは僕らの意思。

その意思をどういうものにするかをよく考えてほしい。


意思を伝える権利があることは

決して当たり前ではない。

先人たちが勝ち取ったかけがえのない権利。


どうか、後悔のないように。

素敵な未来をつくってゆこうね。


コンクリート砂漠で蒸されながら、

この夏の愛し方を、今日も僕は模索する。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

昨年の衆院選の際もInstagramを使って

選挙に関する情報の収集・発信をやってみた。

身近な友人だけでなく、懐かしの友人からも

投票いってきたよ、とメッセージが届いた。

すごく嬉しかった。

誰かの生活に役立てたり、

誰かの心に言葉を届けることが

僕にもできるんだと、

本当に嬉しかった。

だから今回はさらにできることをやってみる。

未来はいつだって輝いていなきゃいけないんだ。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。









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