#まってるよ
- toshiki tobo
- 2023年2月12日
- 読了時間: 3分
まてない人だなと内省しています。ワクワクとか、ドキドキとか、ウキウキとか、キラキラとか、そうしたものを目の前にすると感情的欲求を炸裂させてしまいます。AKBもドン引きするほど、ラブフラゲー(!!!)とここぞとばかりに前のめりにスタートダッシュをかましては、あらゆるものを爆発させてしまいます。「"内省"というより"自省"をしては?」と思っては、「確かに〜!」と膝を打ち、寝て起きては綺麗に忘れる始末を数千年も繰り返しています。まったくもって、ままならない人生です。
小学生の頃、映画『ハチ公物語』にえらく感動し、これでもかと作為的に泣かせるシーンにまんまとのせられ、かるく芦ノ湖程度には涙を流しました。同時に、「犬がまてるのに、どうして僕はまてないの...!?」と驚きに打たれ、顎を外したことを思い出しました。嘘です。後付け挿入話です(どこから?)。にしても、ハチ公の忍耐強さといいますか、忠誠心といいますか、健気さといいますか、兎にも角にも、僕以上の理性の逞しさには首が垂れます。「そういうものに私はなりたい」と久方ぶりに僕の中の宮沢賢治が大乱舞。忙しい人生です。
ガラスがあれば舐めまわし、水を見たら飛び込んで、壁という壁にシールを貼り付ける幼児さながらの好奇心が、ありがたいことに(ありえないことに?)廃れることなくここまでやってきてしまいました。むしろ、年々その暴れ具合に収拾がつかず、自身でも計り知れない青天井にゾッとして泣いています。
しかしながら、僕がなりたいのは「いらっしゃい」と「おかえり」が言える人です。今までは迎えに行ってばかりでした。そこに喜びがあるものなら、他の追随を許さぬ速度で、血眼で捜索アクティビストと成り上がり、喜びが遠ざかってゆくものなら、四六時中もストーキングを繰り返す始末でした。あまりにも怖過ぎて、かるく田沢湖程度には涙を流しますよね。いくら早く行ったとて、そんな風では何もかもが戦慄して、各シェルターで万年祈祷です。見つけることなど叶わないはずです。そこにあって、もうそこにはない。そういう感じです。となれば、「まつしかない(やるっきゃない)」ということです。勢いあまって土井たか子先生も大暴れ。今、僕のアップデートが求められています。普通のアップデート。標準のアップデート。
いつかきっと向こうからやってくる。そういう風に、信じること。闇雲に進むのではなく、立ち止まって見極めること。付かず離れずだけれども、なんとなく居心地のいい、なんとなくまた帰りたくなる。そういうおばあちゃん家のようなひとに僕はなりたい。向こうからやってきたときには「いらっしゃい」を、戻ってきたときはいつでも「おかえり」を、笑顔とともに伝えられる自分でありたい。
僕は、まってます。

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