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#まもりたいもの

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年10月5日
  • 読了時間: 3分

エレベーターに肩を挟まれることの

多い人生を送って来ました。



今年の夏はよくエレベーターに挟まれた。

会社の最寄り駅のエレベーターはとても優秀で

ドアの開閉がかなり前のめり。

ボタンを押す前に開閉するんじゃないか、

というかしてるよね?と思えるほど反応がよい。


あと1人、2人ばかり入れるスペースを残したエレベーターからボタン付近の人が僕を見る。

「はいれますよ」と言わんばかりの視線に惹かれ小走りに向かう。

甘い匂いにさそわれたあたしはカブトムシ〜と向かうやいなや、

ガンッ!!!!肩〜泣


「はいれますよ」の視線ではなく

「くるなよ」の視線であったことに気づき

またこれも思い出〜などと人生の1ページに刻まれるのでした。

太宰もaikoも出番多めで大忙しの夏だった。

ギャラなし最多出演ありがとう。


近頃、といっても本当に近頃のことだけれど、

大切なものを思い浮かべることがよくある。

(我ながら、唐突に話題が切り替わったと、

小さく笑いながら文字起こししています)


例えば、両親。

連絡の機会はあまり多くないけれど、

ここ数年、なぜだかとっても、マブい。


例えば、水筒。

高校生の頃から使っている水筒。

真冬にお母さんが熱々の紅茶を淹れてくれた

高校生の頃から使っている水筒。

泣きながら喉を焼いたよね。


例えば、ヨガ。

いつだって、自分を大切にしてね、の

メッセージを送ってくれるかけがえのないもの。

というか、先生が好き。


他にも、夢だとか、友人だとか、信念だとか、

青空だとか、平和だとか、好きな人だとか、

そういったもので頭の中をいっぱいに満たしては、まもりたいものだな、と思い耽ったりなどしている。


怒ることも多い僕だけど、

どういう時に怒るのか考えてみたら

そうした「まもりたいもの」が、

不条理に、理不尽に、乱雑に、

けなされたり、蔑まれたりしたときだと気づいた。


やたら滅多に怒っているわけではないと胸を撫でおろしつつも、

短気なことには変わりはないのでは?

と、ただただ目を点にするのでありました。


これはきっと結婚や出産、子育てを経験した友人の影響だと思う。

不覚にも、触発されてしまった。一杯食わされた。

まもりたいものがある人生に

小さな憧れを抱いたのかもしれない。


結婚も出産も子育ても僕の人生には

未だないし、これからもないかもしれないけれど、まもりたいものがある人生であることには変わりはない。


僕の大切なものたちを、ささやかにまもりたい。

そういうことにも、生きがいや人生の楽しみを

見出してゆきたいと思いました。

まずはがんばった肩を労ってあげたいです。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

好きな人のまもりたいものがわからなくて

日々アレコレと考えているけれど、

直接聞いた方が早いのでは?と

もう1人の自分がせっかちに拍車をかける。

そういう誰のためにも何のためにもならにような

空想めいたことを堂々巡らせる中秋の夜でした。

(暦のうえでは晩秋なのでしょうか?)

月餅好きの僕も唸ったおいしい月餅の写真をシェアして寝ます。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。









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