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#もう少し憶えていたい

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年12月19日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年1月2日

「いい人」という表現が苦手です。その表現のどこかに「都合のよい」という意味合いが内包されているような気がしてしまいます。僕の考えすぎでしょうか。たぶん、考えすぎなのだと思います。


「いい人」と表現する代わりに、「優しい人」とか「親切な人」とか「素敵な人」とか、より具体的に表現することで、相手を道具的存在とみなすことからの回避を試みています。堅苦しいと思われるかもしれないですね。自分でもそう思います。しかし、そうすることによって相手が自分にとってどういう存在なのか、より深く知ることができる気がしています。


相手を表現する言葉の解像度は、その人との距離をあらわすものだと思っています。より具体性の高い言葉で表現できたなら、より大切な人だともいえるかもしれません。でも、本当に大切な人は、ひと言「大切な人」とだけしか出てこないかもしれません。どの言葉もそれだけでは足りないからです。まったくもって説明になっていない、ただの感想ですよね。でも、そうなってしまうのですから、仕方のないことです。なんて面倒くさい性格なのでしょう。よくそう思います。


さて、記憶の曖昧さを憂うことが最近ありました。スマートフォンでメモをとるようになってから、過去を振り返ることが増えました。それは、決して懐かしんだり、反省をするだけのものではなく、確かにあった事実を記憶の中にピン留めする作業のように思えます。振り返ってみてはじめて、思いのほか忘れていることが多いことに気が付きました。


忘れるはずのないようなことでも、僕たちは案外容易く忘れてしまうのですから、人の脳は甚だ川のような流動的なものだと感じます。右から入って、左へ抜けて。耳と同じように脳もできているのでしょうか。


誰かとの些細な思い出の中に、相手の素敵な要素が詰まっていることに気が付き、忘れたくないと強く感じています。最初は写真に残すことで忘れぬための試みをしていましたが、それだけでは足りないと思いメモを残すようになりました。今は、音声や、動画などでも簡単に時を残せるようになりましたので、できる限り大切な瞬間は記憶にも記録にも残したいと思っています。


大切な人を「いい人」にしないために、記憶のピースをなるたけ記録して、繋ぎ合わせておきたいです。


言葉に振り回されがちな最近の僕の考え事でした。




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