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#わきまえないこと

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2023年6月10日
  • 読了時間: 4分

好きな人とずっと一緒にいたいと誰しもが思っているはずです。家族、友人、恋人、そのどれもが自分にとってかけがえのないものであって、心から愛おしい存在であるならば、同時に離れ難い存在であるものだと思います。


驚くような速さで過ぎ去る時間に、驚きの声も置き去りにされながらも、なかば気合でしがみついています。強風に吹かれ、空に舞い上がった凧を、なんとか自身の方へたぐり寄せようと躍起になる子供のようです。が、しかし、僕は凧揚げが苦手で、自身の凧を空に見上げた記憶はほとんどありません。遠くに行ってしまうのが怖くって、悲しくって、楽しかった思い出がありません。ただ今は、そっと手放し、その姿が小さくなってゆくのをただただ眺めていたい。しかたのないことだと、楽になってしまいたい。そう思うことも出てきました。


6年ぶりに母校の大学へ行く機会がありました。当時、どうしても好きになれなかった、かつて自分が住んでいた街を懐かしく、そして愛おしく感じたことに嬉さを膨らませながらの訪問でした。在学していた6年前とほとんど変わらぬその姿に相まみえ、いつもの如くかつての自分を口寄せしたりなどをし、なんとなく塩気を帯びた海近くの街の空気を鼻から大きく吸い込みました。数多の人がこの街に埋め込んだ愛情に、歩を進めるたびに気付かされ、込み上げるものがありました。そして、それが今だからこそ気づけることだとわかってはいても、当時も感じたかったという叶わぬ要求を膨らませるのでした。


一度好きになったものは、極端に好きが継続します。食べ物も、洋服も、音楽も、色も、天気も、何もかもがそうです。人においてはとりわけ強いものがありますが、依存だとか執着だとかとは別物であると、自分に言い聞かせています。だって、相手からしてみたら恐怖だから。でも、それほどに大切に思っています。


入学当時から10年の月日が流れ、その数字が思い出をよりいっそう懐かしいものへ変えようとしていますが、すっかり学生気分に戻った僕は、当時と変わらぬ姿の先生や職員の方々の姿に年甲斐もなくはしゃぎ、汗だくになって笑い果てました。願わくばずっとここにいたかった。


講義にもでました。環境倫理という講義の4年生のプレゼンの回でした。「質問してくれたら嬉しいです」との言葉を先生から事前にいただいていたものでしたので、これまた学生時代にカムバした僕は、最前で水を得た魚のように挙手を繰り返したのでした。しかし、時が進むごとに背後からの冷めた空気と疎外感を感じ、そっとその手を下げました。そりゃ、そうです。もう、学生じゃないんだった。


名残惜しく、去りがたく、先生の研究室に半日も居座り、記憶にも残らないような細かい話や、インパクトが大きすぎる25年前の写真など、怒涛のコムニカチオン(先生がドイツ哲学研究者)の応酬に研究室で酸欠寸前程度には燃え上がりました。僕が少年のように生きたいと願うのは、いつだって少年のような無邪気さを携える先生が羨ましくて仕方がなかったからです。どうでもいいこととか、どうでもよくないこととか、その両方でもないこととか、毎日研究室で話したかった。先生のことが大好きなんだな。


その晩、これまた嬉しいことに、ゼミの恩師と友人のように親しくさせていただいている職員の方とのお食事会があり、止まらぬ時間と食欲に憂いながら、それらをさっとワインで流し込みケラケラ笑うガラクタになりました。この会はこれからも続くと確信があったので、去り際に潔さがありました。不確定な未来であっても、そういう確信があると、前を向いて歩いて行ける気がします。先にある楽しみに人は生かされていて、これもまた一つの希望だと思います。


よいものも、そうでないものも、時間が強引に私たちから引き剥がそうとしていることを感じます。というより、時間を言い訳に何かによってそれがなされているのが現実です。例えば、もう大人だから、と時間が僕から幼心を引き剥がすのではなく、自分の固定観念が時間を理由に幼子心を引き剥がしている、ということです。仮の話として取り上げてみましたが、実際に、わきまえようとする気持ちを抑えるのに必死でしんどい時がごまんとあります。わきまえたくないことは数えきれないほどあって、本当にしんどい。幼心だけは片時も手放したくないものの一つです。


好きでいたい気持ちを抑え込むことは案外簡単ですが、やっぱり僕にはそれができません。美味しい白米も、太陽輝く青空も、勇気を与えてくれたピンクも、好きをやめることだって割と簡単にできてしまいます。エネルギーを使うならやっぱり好きをやめない方へ使いたい。


いくら強風が吹いたとしても、凧糸が自分の拳の中にあるのなら、絶対に離さない。わきまえない大人になるのが、今の僕の小さな(時にでっかい)目標です。




予定がない日がまったくなく、でも文章に残したい、でも要素が多すぎる、でも簡潔にまとめたい、でも無理そう、で、すべてを手放したくなりそうな、忙しない僕の先生大好きなお話でした。



p.s. お父さん、お母さん、大学へ行かせてくれて本当にありがとう。










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