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#フリージアの花言葉

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2023年3月6日
  • 読了時間: 4分

更新日:2023年4月26日

2年ぶりにお花を買いました。黄色のフリージアです。ヨガ終わりにスタジオ近くの昔ながらのお花屋さんに吸い込まれるようにお邪魔し、チューリップ以外の季節のお花を教えていただきました。いくつか伺い、名前しか知らなかったフリージアを見せていただき、香りをお試しさせていただいただきました。華やかで妖艶な香りに胸を射抜かれ、一輪いただいて帰宅しました。


自分以外の生き物を家に迎え入れることができるようになったということは、いよいよ本調子に近づてきたという兆候の現れです。調子が悪いと、内側に気持ちが向かってしまうので、外側へ気を配ることやアンテナを張ることがほとんどできなくなってしまいます。すぐに疲れてパンクしそうになってしまいます。そんな時は、本来好きなものが素直に好きと言えなかったり、嫌いの寸前まで追いやってしまうこともあります。美術展にも行けなければ、映像も見られない。ニュースなんてもってのほかです。誰かに対して「大丈夫?」と聞く数だけ、自分にもその言葉をかけて欲しいと思っているかもしれません。


しかし、その不調の時期ともお別れする時が来たようです。部屋に飾ったフリージアがさっそく生き生きとその香りを空間へ放ち、あらゆるものを浄化してくれているような気がします。心が弾むのを感じます。


ほんの少し前に、ひとを怒らせてしまう出来事がありました。僕の行き過ぎたお節介とパーソナルスペースへの侵入により、相手にひどく不快な思いをさせてしまいました。送られてきた相手の文章には至るところに棘があり、その字面はまるで別人かと思うほどに豹変していました。「これは、拒絶だな」。そう思いました。同時に悲しい気持ちになりました。悲しい気持ちというのは、僕自身の気持ちであり、相手にたいする憐れみの気持ちでもありました。


不快な気持ちにさせてしまったのは確かに僕のせいです。しかし、それまで触れることの叶わなかった相手の本心を、僕がどうやって知り得たというのでしょうか。僕自身、判然としない気持ちで過ごすことが多々あり、疑心暗鬼ながらできる限りの言動を尽くして、朧げな相手の心の輪郭を実線でトレースする試みをしてきました。しかし、その試みは大失敗に終わりました。誤った部分に線を引いており、アウトラインを飛び越えてしまっていたようです。その結果がこれです。もうしかたのないことです。これもよい勉強となりました。かえって清々しいです。気持ちを、出せないのか、出さないのか、出したくないのか、そのどれかもわからない人は本当に難しいです。そもそも、これは相手の課題であり、僕の手の及ぶ範疇ではなかったことだと反省です。触れるべきではなかったのです。


そういえば、怒りに溢れた相手の文章には事実と異なる証言がいくつかあり、それを見てより一層いたたまれない気持ちが強まりました。その証言をのみ込みメッセージを終えましたが、なんだか相手の歪みを見たような気がします。自己防衛から来たのであろうそれは、かつての僕に重なるところがあると同時に、未来の僕の姿かもしれないという可能性も頭をよぎりました。その歪みを他者のものだと決して切り離さずに、自分に潜み得るものとして受け入れるべきだと思いました。基本的には友達をお"休みする"ことを考えますが、今回に限っては"お別れ"を選択しました。友達と呼びかけて間もない関係だっただけに、本当に残念です。そもそも、親しいと思っていたのは僕だけだったことに虚しくなりました。いつか、その人にとって心を開くことができる誰かが現れてくれることを祈るばかりです。


人とのお別れと入れ替わるようにして迎え入れた黄色のフリージア。花言葉は"無邪気"でした。良くも悪くも僕らしいその言葉に少し口角があがりつつ、知らずの間に留守にしていた無邪気が春に運ばれて戻ってきたことに「おかえり」と囁きたくなりました。


この文章を公開するか否か迷いながらもとりあえず文字起こしをし、勢い任せに「エイやッ(!)」とEnterキーを叩き割った最近の僕の小話でした。







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