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#一人称の話

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2021年5月29日
  • 読了時間: 2分

「僕」はかつて「俺」だった。

長い間、そうだった。

でも、いつ頃からか、自然と変わっていった。


僕は舌足らずだ。

そのため、活舌がよくなく、

小さなことはちょくちょくからかわれたりなんてした。

苦手なのは、ラ行。


舌が軽快に動かないので、ダ行になってしまう。

自分のことを「俺」と言うには、

その苦手な「ラ行」が目の前に大きな壁となって

現れるわけである。

僕には乗り越えることができなかった。


大学2年生ぐらいのころ、そのころには

もう自然と「僕」に切り替わっていた気がする。

そう呼ぶ方がなんだかしっくりくる感じもあった。


活舌を気にして、人と話すときに

やたらと緊張してしまったりもする。

少しどもってしまったり、

何度も噛んでしまうこともある。

そういう時はとても凹む。


ゆっくり喋る練習をしたり、

口を大きく開けて話す練習なんかも密かにしていた。

それから、積極的にラ行を使用しないよう

他の言葉を探したりなどよくした。


今でこそ、そこまでは気にならなくなったが、

何よりも活舌が僕にとってのコンプレックスだったことは確かだ。


こんな僕だが、中学生の頃は、

アナウンサーやラジオのパーソナリティにとても憧れていた。

職場体験もFM甲府へお邪魔した。

でも、向いていないことをすぐに察した。

諦めは早かった。


現在も何かと人前で話す機会は多くて

そのたびに並々ならぬ緊張をする。

後で大きな後悔をしないようにと練習を重ね

本番へ臨むのである。


気を抜くとあらわれる「ダ行」。

これから先うまく付き合っていくしか

ないのだろうか?


今日も遊びに来てくれてありがとう。

活舌がいいひとはとても魅力的だ。

当本人には何てことないことかもしれないが、

僕にとっては喉から手が出るほどほしい

チャームポイントだ。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。




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