#人たらしだと言われても
- toshiki tobo
- 2021年10月17日
- 読了時間: 3分
人たらしだといわれた。
そうかもしれない。
高校生の頃は八方美人だと言われたことがあった。
そうかもしれない。
いい気はしないけど、そうなんだと思う。
口では嫌いと言えたとしても
一度好意をもった人を嫌いになることは
そう簡単にできることじゃない。
好きと嫌いは真逆のものだからね。
そんな極端なことはできない。
その人たらしの性格がふとした時に災いして、
とてもとても落ち込むことがある。
友達には、怒っているとか、ムカついているとか
そんな言葉で気持ちを表現しているけれど
本当は悲しい。
水を両手ですくった時、指と指のわずかな隙間から
水が雫となってこぼれ落ちてゆくよね。
子供のころ、どうしてもうまくすくえなくて
何度も何度も力いっぱい手を重ね合わせた。
さすがに今は難なくできるようになった。
でも、やっぱり両手の中の水は少し零れ落ちる。
その様子を見るとなんだか残念な気持ちになる。
それと同じですべての人を追うことはできなくて
その時々でくっつりたり離れたりするわけなんだよね。
仲がよかった人も気づいたら離れていたり、
違うところで楽しそうにしてたりすると
何だか自責の念に駆られる。
僕がよくなかったのかな、て。
仕方のないことなんだけどね。
特に恋人関係になった人って難しい。
別れた後でも友達でいたいと思える人、
完全に縁を切ってしまいたいと思う人。
みんなはどっちなんだろう。
僕はどうだろう。
一番最後に付き合った人は
ずっと仲良くしたいと思える人だった。
優しい人だったからね。
でも、それは少しねじ曲がっているようにも感じる。
ふとした拍子に思い出すことがあるのだけど、
思いだしたら気になってしまって仕方がない。
嫉妬さえしている。
思えばその人も人たらしの一面があって
そんなところを僕は優しいと思い、
好きになったんだと思う。
今でも、気になったり勝手に嫉妬したりするのは、
人たらしのあの人を僕は今だに両手に収めたいと
思っているからなんだろうね。
でもよく考えてみれば、両手の中の水がなくなることに
どうしてそんなに残念に思うことがあるんだろう。
新しい水が注がれるかもしれないというのに。
ずっと同じ水だったら、きっと濁ってしまう。
どんなにきれいな水でも汚れてしまう。
循環させてあげなくちゃいけない。
今、僕は両手ですくった水を零れないように
何とかやっているわけだけど、
両手の中は新しい水でいっぱいにすることだけじゃなくて、
もう一度すくい返すことだってできるかもしれない。
時間が経てばすくい返した水だって
きっと違う水になっているかもしれないよね。
すくい返す、か。
こんなことを考えているんだから
やっぱり僕は、人たらし、なんだね。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
好きな人にはずっとそばにいてほしいし
勝手に離れてゆくことを許したくはない。
だけども僕だって引き留めようとする誰かから
離れようとすることだってある。
自分勝手だ。でも仕方がないんだ。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。

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