#今いるところ
- toshiki tobo
- 2023年1月15日
- 読了時間: 3分
ゴミ箱を抱えながら爪切りをします。机の上にティッシュを広げて爪切りをしてもよいのですが、広げたティッシュの上に爪が落ちてくれるのか心配で、より確実な方法で爪切りをしたいと思っています。しかし、足趾の爪切りは厄介で、指先をゴミ箱へ入れると爪が上手に切れないので、ゴミ箱の淵に踵を乗せて爪切りをします。そうすると、予想通り、数回に一回は予期せぬ方向に爪が飛んでゆくものですから、その度に心が溜息をつきます。一方で、突拍子もなく好き勝手どこかへ飛んでゆける、かつての僕の一部を羨ましくも思っています。
どんな生き方をしたいのか、と尋ねられたら、浮島を渡るような生き方、と答えます。常に身軽で、心身ともに自由でありたいと願っているからです。留まる時間の差はあれど、本当に今まで浮島を渡るように、どこか特定の場所にどっぷり浸かることなく、自由気ままに時間を過ごしてきました。今まで、はそうでした。
ところが、完全に困ったことになりました。ふと周りをみたら、次に行くべき島がどこにも見当たらないのです。どうやら、島だと思って降り立ったところは大陸だったようで、ずいぶん内側の方までやってきてしまったようです。それだけではなく、なんだか足取りも重く感じるのです。アスファルトに塗装された道がまるで沼地のようで、足掻けば足掻くほど、足が深く沈んでゆくように感じられるのです。これでは島が見つかったとて、行けるはずがありません。そもそも、沈んでいるのですから遠くの島など見えるはずもありません。
そのうえ、厄介なことに、沼地のようなアスファルトは生暖かく、出ようにも適度な心地よさがあり、僕の心をつかんで離さないのです。ですから、ますます僕は出る術をなくし、沈みゆく足許にあきらめのまなざしを向けることしかできずにいます。
こうなることは実はわかっていました。それはずっとずっと前からわかりきっていたことでした。それにもかかわらず、別の方法を選択しなかったのは僕の意志が下した決断であり、たとえ無意識だったとしても、そのせいにすることは憚られます。後悔をしているわけではありません。ただ、この選択は僕にはそぐわぬものだったと振り返ります。これもひとつの学び。これもまた固有の人生なのです。
今、いったん止まってみることにしました。沈むことは沈んでいますが、足掻くよりはずいぶんゆっくりです。止まる方が焦る気持ちはかえって大きくなりますが、今はこうしていることの方がよいような気がしているのです。妙案を思いつくことはあまり期待できそうもないので、近くを通りかかった誰かが、この足場から引っ張り出してくれることに期待することにします。なんだか、もうすぐ誰かがやってきそうな気がするのです。根拠はあありません。ただ、そう感じるのです。
今はなき小さな頃につけたあの助走に、僕はもう一度息吹きを吹き込みたいと夢見ています。助走そのものに命を芽吹かせ、血を巡らせさえできれば、足許を掴まれようとも、いつでも、自力で、遠くの島へ行ける気がしませんか。元気が少ないときでも、飛べるだけの余力は心のどこかに残しておきたいですね。でも、最近右膝が痛いので、ロイター板ぐらいはほしいかもしれません。そして、切った爪は、全部、もれなく、おしなべて、綺麗さっぱりゴミ箱へ収まってくれ。




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