#今を生きること
- toshiki tobo
- 2023年8月20日
- 読了時間: 4分
更新日:2023年9月24日
燃えるような夏を燃えるように過ごしています。暑さに煽られるように、鼓舞されるように、今という時間を必死に生きています。今、この瞬間にありったけの力を振り絞るのは甲子園の高校球児だけではなく、僕だって同じ。昨日のことを何も思い出せないくらい、明日のことに何も配慮ができないくらい、今を生きている。
夏バテしました。
牛のフンは燃やすと消臭効果があるという話を耳にしました。予想のはるか上をゆく豆知識に眉に唾をつけましたがモンゴルではそれが商品として売られているというのだから信じるほかありません。この世の中には自分の知らないことで満ち満ちていて、むしろ自分の知っていることなんか蚊の眉ほどにも満たないことを思い知らされました。
そのライフハック(?)を教えてくれたのは少し前にあった大学時代の友人でした。卒業以来、およそ6年ぶりの再会でした。在学中とりわけ仲がよいというわけでも、一緒に何かをしたわけでもない友人ですが、instagramを通じて見える彼女の生き方に惹きつけられるような魅力を感じました。同じようなタイミングに、彼女も僕の生き様に何かを得たらしく、ことあるごとにやりとりをすることになりました。
不思議な人生を歩む友人が片手ほどいて、彼女はそのうちの一人です。どこで何をしているのかはわからないけれどとにかく今を全力で生きる姿に、目に輝きを浮かべずにはいられませんでした。静岡にいたと思ったら、北海道にて、知らない間にモンゴルへ移動し、現在は地元横浜へ戻りアルバイトをしながら再び大学へ通っているとのことです。名の知れた会社へ入り、予定調和な人生を送るよりも、先のことはなんだかよくわからないけれど、自分の心に従い、自分のだけの人生を生きようとする姿がすごくかっこよかった。
天津欄間な底抜けの明るさの中にも、ずっと手放せずにいるほころびかけた憂いみたいなものを感じ、彼女を縛ろうとする社会の常識をすぐさまに呪いました。その憂いはついこの間まで僕も手放せずにいたものだっただけに心苦しさを感じました。誰にだって自分の人生を選択する権利はある。
3度目の転職活動から、「20代で○社目ですか(ピリオド)」という棘を刺されまくったうえ、「社会一般では〜」という常套句を聞きすぎて、すべての人を東京湾に沈めたくなる思いに駆られました。譲れない大人で溢れかえった社会。通勤電車のあのどんよりとした空気。僕はこんな風にはなりたくない。社会の当たり前を信じたところで幸せになる未来がまったく描けませんでした。
さて、実家の母から手料理第2弾が冷凍便でやってきました。先日、東京へ来た際に手料理が美味しかったこと、そしてまた食べたいことを伝えたところ、母も嬉しかったようで再び用意してもらえることになりました。一人暮らしを始めた当初、スナック菓子やジュースなど好きなものを好きなだけ飲み食いできる!と喜んでいましたが、そんな食生活に陥ることは一切なく、裏腹に健康オタクが加速してゆき、結局食べたくなるのは母の手料理でした。マザコンと思われても仕方のない息子としてのワガママですが、この数年、かつてないほど家族の仲がよいことが嬉しく、なんとなく実家にいる時のような温かさを感じたくなるのです。歳を重ねるごとにどんどん複雑になる僕やありえないほど子生意気な姉を、両親はいつだって全力で育ててくれました。母の手料理はその全力の味がします。今回は父からうなぎの白焼きも届きました。恐ろしく几帳面な父の捌いたうなぎ。父の全力がそこにはありました。
3度目の転職で念願の仕事に就くことができ、嬉しくて身を投げ打って働いていたら、あっけなく頭から煙がでました。ちょっとだけやりすぎました。寝る間も食べる間も惜しみ、とにかく夢中で働いていたこの2ヶ月。プシューと頭から音を立てて活動限界を迎えました。この週末、死んだように寝て、起きるや否や母の手料理を胃に流し込み、久しぶりに仕事のことを考えない時間を過ごしました。こんなに疲れが溜まっていただなんてえにも思わなかったので不思議な気持ちでした。やっぱり僕に必要なのは中庸で、適度に手放す努力なんだと思います。とはいえ、きっとそんなことはすぐに忘れて明日から全力で今を生きるアラサーに戻ることだと思います。怒られてもいいから、今はまだそういう風に生きていたい。
全力は両親譲りだということをぼんやり頭に思い浮かべては、そういえば魚屋の息子だったと思い出した今週末でした。

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