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#何度生まれ変わっても

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年7月12日
  • 読了時間: 3分

締め切った遮光カーテンの向こう側に

強く西陽が射している。

そこに確かな夏を感じつつ、

僕は人知れず床に伏している。


はじめて胃腸炎にかかった。

外でウィルスをもらってきたみたい。


唸っても一人。水を乞うても一人。

完全に正岡子規状態と言いたいところだったが、

咳をしても一人、は尾崎放哉の詩だと知り

目が点になった。


土曜の夜に発熱し、ようやく今日、

病院へ行ってきた。


コロナだったらどうしよう、は

30分にもわたる医師の大演説によって

明後日へと吹き飛んだ。

相槌にも疲れた僕は、腹痛レジスタンス最前線で

血みどろになって戦っていた。


しかしながら、幸か不幸か、一連の運動が

ひと段落したところでよかったと

ほっと胸を撫で下ろしている。

撫で下ろした胸が腹に突き刺さるがごとく

腹痛が痛くて痛くて、痛い。


薬局で薬を待っているあいだ、

滅多に見ることのないワイドショーを眺めていた。

無口となったかつての首相が運ばれている様子が

そこには映し出されていた。


今の命は明日の命とは限らない。

諸行無常で盛者必衰。

芭蕉の言葉も儚く響く。

その人の死に際しなんだか虚しい気持ちになった。


コロナ禍がはじまって早2年半。

今まで以上に誰かの幸せや健康を願った。

それは心の深いところで希望となって膨らんだ

ほとんど僕の祈りだった。


自分の命も例外ではない。

明日あるものとは限らない。

会いたい人には会えるときにあって、

連絡をとりたい人にはメールや手紙を送った。

伝えたい思いは可能な限り文章にもした。


後になって恥じるタイプの衝動を

アラサー間際で大放出。

ミサトさんもそれがいいって言ってたから。

(風呂で命の洗濯もしたよ)

恥はかき捨ててなんぼです。

弁明がくどい。


ま、時には奇妙に思われる、心を突き上げる衝動は、

確実に生きる足取りを軽くさせたと思う。


相手は自分が思うほど自分に対して関心がない。

僕のからだを巡りまわるひとつの真理が後押しし

予期せぬ出会いが広がった。

やってみるもんだなとつくづく思う。


そんな思いに耽っているあいだも

しっかり腹痛があるもんだから、

涙がちょちょ切れちゃうわよな。


大学時代、実存主義を少しだけかじっていた。

それは行動の哲学であり、

人間は自由意志によって

なんにだってなれるんだ㌔みたいな、

ざっとそんなものだった気がする。


変わらないと言われがちな社会だけど

僕の目には少しずつ変わっているように映る。

変わらないことを選択している人も例外ではなく、

自身のわずかな変化に気づけずにいる。


変えようとする人、変わろうとする人の影響で、

不動に思われたあれこれが確かに変わってきた証。



ひとの命は短く、儚い。

できることには限りがある。

あれほど富と権力を手に入れた

かつての首相がそうだったのだから

僕なんてなおのこと、少ない。


それでも、僕はもしも生まれ変わったとしても

ふたたび自分に生まれたい。

こんなに泥臭くても僕は僕であり続けたい。

明日になって恥ずかしくなるタイプの衝動、さもありなん。


そして少しずつ、その時その時の変化に

生きた証を刻みたい。


かつての首相を僕はこれっぽっちも好きではない。

だけれども、彼の死が示したメメント・モリは

忘れてはいけない大きなメッセージであり教訓だ。


何かが変わるのを待つよりは

変えようとする方がきっと、ずっと、楽しい。


とりあえず明日は会社にゆきたいです。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

読み返せど読み返せど、これでいいのか?の

今日の備忘録。

具合が悪くなったとき、なんでこうなるの、と

わりとはっきり声に出す。

誰もいない部屋に余韻もなく消え失せる嘆きが

なんともいえず、泣く。

僕は密かに、この習慣を"嘆きのマートル"とよんでいる。

はやくカツカレーが食べたい。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。


ree




 
 
 

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