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#助かりたいとか救われたいとか

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2021年11月16日
  • 読了時間: 2分

せめて自分だけでも助かりたいとか救われたいとか、

僕だってそう思うときはある。

絶対みんなだって思う、はず。


寝不足だったり、疲れが溜まっていたり、

そういう時って元気な自分からしてみると

信じられないくらい悍ましい考えに至ったりする。


「お前が苦しめ。地獄に堕ちろ。」とかね。

ああ、なんて悍ましい!


"楽しい"を引き伸ばすのには限界がある。

何か先の楽しみのために生活したり、

過去の楽しいに浸って苦しみに耐えたり。


薄く引き伸ばされた幸せの上では、

自由に動き回ることは難しい。

そこではいつもおっかなびっくりで

絶望の匂いがうっすらと漂っている。


今はポジティブシンパシーより

ネガティブシンパシーを感じたい。


僕は辛い局面の方が俄然燃える。

誰かの辛いとか、しんどいをきいて

「よし僕も頑張ろう!」と思える。


楽しいことばかりが周りにあると

楽しむことをこなさなければならない

小さな強迫観念にとらわれてしまうんだ。

だから辛い時の方がまっすぐ正直に

生きられる気がする。


「辛い!誰か救い出してよぅ!」と思いつつ

苦しみながらも今日も僕は泣きます。

泣かないけども。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

「タッグを組んで」という言葉が前時代的な

死後になりつつあるけども

僕はいつだって誰かとタッグを組みながら

泣きべそかいて生きてゆきたい。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。









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