#口に運んだ小エビの数
- toshiki tobo
- 2021年5月28日
- 読了時間: 3分
「スパゲッティ」を止やめたのはいつからだろう?
いつから「パスタ」と呼ぶようになったのだろう?
僕のまわりは皆「パスタ」と言っているものだから、
自然とそうなってしまったのかもしれないね。
僕も大人になってしまったということなんだね。
だって大人は皆「パスタ」って言うから。
誰も「スパゲッティ」とは言わない。
僕は今日「スパゲッティ」が食べたかった。
大人を一旦休みたかった。
入ってくる情報が多すぎる。
こんなに要らない。必要ない。
疲れてしまった。大人って大変なんだな。
だから、みんないっぱいいっぱいなんだね。
夜ごはんにスパゲッティを作った。
小エビをたくさん入れて作ったんだ。
スパゲッティの具材は最後にパラパラと残る。
最後にそれをゆっくり口に運んだわけなんだ。
玉ねぎ、ほうれん草、そしてエビ。
丸く、膝を抱え込んで、じっとした、
いくつものエビが最後に残っていた。
それを1つずつ口に運んだわけなんだ。
彼らは命があった。
命が宿っていたんだ。
皿の上に無造作に横たわった彼らに
今日はじめて命を感じた。
はじめてのことだった。
怖くなった。
だって、それまで、スーパーに並ぶエビ、
食卓に並ぶエビに命を感じたことが無かったから。
何の前触れもなく、突然に、平然と、
彼らは、死んだんだ。あっけなく。
殺されたのだろうか?
これは殺されたと言ってしまっていいのだろうか?
でも誰も殺そうと思って殺してなどいない。
何でこんなことを思ったんだろう?
あぁ、そうだ。青春を思い出したからだ。
最近の元気の源は僕が過ごしてきた青春時代だ。
あの時、僕の中に入り込んできて、
一瞬できらめきだした光。
それは、絶対に、絶対に、誰にも
覆い隠すことも、消すことも、奪うこともできない
強く、美しく、そして切ない、光だった。
その光を与えられたのは僕だけではなく、
等しくみんなに与えられたのだった。
与えられるべきで、そうあることがさも当然だと信じていた。
しかし、コロナに、大人に、姿のない言葉たちに、
その光が当たり前に与えられるものではないことを知った。
子供に、青春に、与えられた光が瞬く間に奪い去られる。
跡形もなく搾取される。
それのみならず、光が与えられることがない。
そんなことが起こっているのだ。
僕は、自分があんなにも嫌った、大人に、なってしまった。
大人になどなるものかとあがきたかったが
時間は僕を大人にしたし、
僕も大人らしく振舞うことを覚えてしまった。
光を与えられる人が選ばれるこの時代、
大人の僕は静観するしかできないのだろうか?
このままでは僕が嫌ったヤツらと同じではないか。
落胆した。とても落ち込んだ。
光を奪うことなんて簡単なんだ。
大人が光を奪うことなんて
怖いぐらい造作もない簡単なことなんだ。
僕が属する「大人」という部類は
そういうことを平気でできる人たちが
たくさんいるところなんだ。嫌気がさすね。
だから、今日は大人を休みたかったんだ。
何もできない僕だけど、せめて心は、
世界へ駆け出そうとしている、
今にも輝き始めようとする、「命」とともに
ありたいと思ったからなんだ。
ちょっとでもあがいてみたかった。
反抗したかった。
コロナは天災かもしれない。
でも、「コロナ禍」は紛れもない人災だ。
人災なんだ。
世界に溢れだそうとする光を
だれも奪い去ることなどしてはいけないのだ。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
人の心に触発され、心にしまい込んでいた思いが
形になり始めている。
もしかしたら、しばらくこういう備忘録を
残したいと思うかもしれない。
光はいつでも心になくてはならないものなんだ。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。

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