#奇跡の価値は
- toshiki tobo
- 2023年7月1日
- 読了時間: 3分
先日、新幹線ホームのベンチに命より大切なスマホを置き忘れるという大失態を犯しました。幸い、友人と一緒でしたので、しかるべき場所に電話をかけることができことなきを得ました。しかしながら、新幹線が出発した後での発覚だったため、落とした駅へ受け取りに行く手間と往復賃料が発生し、ヤケクソになってグリーン車で帰路につきました。ままならない人生が続いています。
とはいえ、これはとても幸運なことだと言わざるを得ません。あんなにも無防備に置き忘れられたスマホが無傷で手許に戻ってくるなんて。駅員さんにはありったけの感謝の言葉を確変起こす勢いで言い放ち、手許に戻ってきたスマホをここぞとばかりに愛たり、愛なかったりをし、スマホがあることのいかに大切なことかを思い知らされました。
過去に幾度となく落とし物をしてきました。その度に、二度と繰り返すまいとあらゆる対策を講じるのですが、するりするりと意志のある生き物かのように、所有物が僕を試すかのように、手許から消えてゆくのです(ただ、僕が落としているだけなのですが)。しかし、たとえ手許に戻ってこずとも、それ以上のものが舞い降りてくることが多い人生を過ごしてきたような気がしています。これも、1つの定め、僕のカルマだと思うことにしています。
さて、「奇跡の価値は」は、アニメ版エヴァンゲリヲン第12話のタイトルです。大気圏外からネルフ本部に直接攻撃を仕掛けようとする第10使徒に、勝率0.00001%の作戦を実行することに対してこのようなタイトルがつけられました(詳細は各自調べてください)。毎話俊逸なタイトルに鼻息荒くしていた僕ですが、このタイトルがおそらく2番目に好きです(ちなみに1番は、第9話のタイトル「瞬間、心、重ねて」)。
実現不可能性が高いことを奇跡とみなす、あるはい奇跡と呼ぶことはまっとうで、さもありなんといったところですが、無意識の領域に気づかなければならない、自覚しなければならない奇跡がごまんと溢れていることを忘れてはなりません。呼吸が気持ちよくできること、五体満足なこと、生きること以外のことを考えられること、心に余裕があること、ひとりではないこと、などなど。洗い出せばきりがないほど、ラッキーで、貴重で、恵まれた奇跡が自分自身に溢れかえっていることを特に最近感じています。そう感じるたびに、自分が過去以外の場所で生きようとしている意志が強くなっていることを不意に察します。
価値があるから奇跡と呼ぶのか否かは正直わかりません。やはりそれは受け止める側の問題だと思います。ある出来事、ある状態などに対し価値を見出すかは、その人の経験やバックグラウンド、バッグボーンに左右されるからです。僕はできるだけ、その価値を見出せる生き方を選択したい。幸せのハードルを低く保ち、感謝しながら、誰かとともに歩む人生を選びたい。
今、とても一生懸命生きています。今までも一生懸命でしたが、輪をかけて懸命です。なりふり構わず、一喜一憂しながらも、かけがえのない毎日を過ごしています。「あなたは自分の直感に素直に生きなさい」と2年ほど前、占い師に言われました。自分の尻拭いは自分でする覚悟で人生の選択を繰り返してきましたが、占い師の言葉をもらってからはより一層その気が強くなりました。長く短い人生、ありっあけの奇跡で埋め尽くしたい。
頑張っていればいいことがあるともっとも願った今週の僕の記憶でした。

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