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#好きとか、嫌いとか

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年11月30日
  • 読了時間: 3分

1万年と2千年前から愛していたものが、突然、「別に(エリカ〜)」となるタイプの心の機微に触れることがありました。吉田美和ばりに「ねぇどうしてすっごくすごく好(割愛)」と愛してやまなかったのにもかかわらず、「別に(再)」となるのだから摩訶不思議アドベンチャーです。


先日、久方ぶりに図書館へ行きました。それも土砂降りの中、わざわざ電車で30分近くもかけ渋谷の区立図書館に行きました。ずぶ濡れになったうえ、びしょびしょに汗もかいて、我ながら正気の沙汰ではないなと思わざるを得ませんでした。入館するや否や、図書館のあの独特の匂いを感じ、これもまた忘れていたものの1つだなと感じました。


図書館では辞典コーナーに足を運ぶ癖があります。その日は家紋辞典と苗字辞典を手に取り眺めていました。ここ数年、自分自身のルーツに対する興味に火がつき、暇な時にあれこれと調べたりなどしています。しかし、その日はものの10分程度で辞典を棚へ戻し、館内をふらふらとさすらいました。なんとなく居心地が悪かったのです。なぜかはまったくわかりません。悪天候のせいで館内がどんより感じられたのは確かでしたし、音のない静寂な空間に物寂しさを感じたのも確かです。でも、それだけではないような気がするから不思議です。


場所は違えど学生時代に毎日のように通っていた図書館が、なんの前触れもなく自分の場所ではなくなってしまったような気がして少しばかり悲しくなりました。でも、それも仕方のないことです。どうすることもできないのですから。いつか、かつてのような喜びをもって、訪れることができる日が来るのを願うばかりです。


音楽にも同じような出来事がありました。音楽アプリのシャッフル機能を使用して曲を聴いていた時のことです。かつて、とち狂うほど耳にした曲に何の興奮も感じなくなることがありました。むしろ、今の自分にはtoo much感(突然のEnglish)があり、聴き終わる前に次の曲へとスキップしてしまいました。音楽を消費してしまっているような感覚に罪悪感を感じるのとともに、「SDGsでないな〜」など思ったり、思わなかったりなどしました。


少しケースは異なりますが、ポジティブな変化もありました。この1年、宇多田ヒカルの一部の曲をまったく聴くことができませんでした。およそ1年前に「BADモード」というタイトルのアルバムがリリースされました。当時、僕自身がとんでもなくBADモードだったこともあり、曲を聴いてもいないのに、この耳に届くようならマライアキャリーに鼓膜を散り散りに切り破ってほしいと願って止みませんでした。つい先日、そろそろ時効かなと思いアルバム名を冠した曲をはじめて耳にしました。拍子抜けしました。暗いものとばかり思っていましたが、優しいまなざしで溢れたよい曲でした。耳にすることを恐れていた当時の自分がいささか滑稽に思われました。ホッとしてしまいました。それを皮切りに、避けていた曲にも再び触れることができました。「SDGs〜」などと思ったり、思わなかったりなどしました。


「あの頃と何も変わっとらんじゃけぇ」とついつい口にしがちですが、実際には良くも悪くも変化しているようです。ただ、悪い方にばかりに目がゆきがちなだけかもしれません。そうなるのも当然で、ついつい他人のポジティブな変化と自身を比べてしまうのが世の常だと中国四千年の歴史が教えてくれています。泣いたり、笑ったり、迷ったり、強がったり、西野カナが大暴れしがちな人生ですが、「一喜一憂の堂々巡りも人生にとってのエクストラエッセンス〜」だと思い、心そのものもSDGsにコミットさせてゆきたいなと思いました。








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