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#推しのいる生活というかぬかるみ

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2021年9月14日
  • 読了時間: 0分

今の今まで、会ったことのない人だとか、

空想上の人物に心躍らせることがあんまりなくって、

日常の歓びといえば、もっぱら、直接体験で得ることがほとんどだった。


しかし、コロナ禍になって、外に出られぬ状況が続いたからか、

SNSを通じて歓びを得ることが増えた。

「推し」というものが僕にもできた。


些細なことなんだけども、あるとないとじゃまるで違う。

SNSを通して見え隠れする推しの姿は尊い。

そして、手が届きそうで届かない絶妙な距離感、

「儚さ」がたまらなく良いのである。


ちょっといいゴミ箱を購入したことを後ろ盾に生きていた少し前の僕は、

しきりに身に当たる逆風にも

「お宅のゴミ箱よりうちの方が高価なんでぇ」

という自尊心というかプライドをもってして

売られた喧嘩を指先で弾き飛ばしていた。


ところがどっこいで、意外とみんないいゴミ箱を使っている現実にぶち当たり、

僕の虚栄心は宇宙の藻屑と化した。


しかしながら、この「推し」というものは

ゆらぎない絶対的な幸を心にもたらしてくれる。

いかなる時も癒しと安らぎを与えてくれる唯一のものだ。


今日もそんな尊いひと時を得て、

日中の胸クソ案件を空に帰したのである。

さようなら。


女性はいにしえより、日常に「推し」を据える生活を送ってきたわけだが、

今頃になってその整合性というか合理性を心得たわけである。

あっぱれ大将軍だ。


いやいや、本当に馬鹿にならない。

「推し」に感謝だ。

メイクす、マイ、デぃ。だ。


今日も来てくれてありがとう。

少しだけ、僕らしい節の入った文章を久々に書いた気がする。

2割の気持ち悪さをエッセンスに共感の嵐を巻き起こしたい。です。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。







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