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#揺さぶられる

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年11月20日
  • 読了時間: 2分

人の話を聞くことが好きです。そもそも人とのお喋りがとても好きで、寝ても覚めてもお喋りをしていたいなと思います。なかでも、人の「好き」を聞くことがとりわけ好きです。中には自分の好きを人に話すことは押し付けがましく、なんだか気が引けると思われる方もいるかもしれません。僕もそう思うことがあります。


興味があってもなくても、人のお勧めには必ず一度触れてみる試みをしています。なぜならば、そこには人の心を掴むだけの何かがあると思うからです。数ある魅力のうちどれに対してその人は心を掴まれたのか、知りたくなります。そして、そこには必ず学びがあります。


誰かが喜ぶ顔を見ることが好きです。僕がお節介焼きなのはそういうわけなのかもそれません。人が笑うと嬉しく思います。もっと笑わせたいなと欲をかいてしまいます。相手のことをもっと深く、広く知ってゆけば、もっと笑わせることができるかもしれないと夢見ています。


でも、実際には誰かを笑わせるために疲弊することも時にはあります。喜ばせることに比重が偏り、まるで自分の意志がなくなってしまったかのような気持ちになるから不思議です。でも、そうであると自分自身で気付くことはいささか難儀なことのようにも思います。実際に「疲れていたな」と感じるのは、ずっと後のことなのがほとんどです。


なんてことないことがトリガーとなり、いつかの記憶が不意に呼び覚まされることがあります。記憶の片鱗に触れた時、心が揺さぶられます。iPhoneのカメラフォルダにリマインダーの機能があります。日付などを基準に、過去の写真が無作為に選別され表示されます。表示されるもののほとんどは楽しかったいつかの記憶ですが、時々忘れたはずのいつかの写真が表示されることがあります。


残酷だと感じます。そして、同時に滑稽であるとも感じます。自分の都合のよいようにカスタムしたはずの自分の所有物に一杯食わされた、そんな気分です。どの写真も同じテンションで淡々と無機質に選ばれるのですから、AIは厄介なものです。写真が表示されたその時は後で消そうと思うのですが、そんなことはすぐに忘れてしまうのです。その上、その写真がフォルダーのどこにあるかも見つけられず、無抵抗に堂々巡りを繰り返すのです。


楽しかった記憶がいつでもそうであるとは限りません。「かつては」楽しかった。そういうこともあります。これもまた1つの修行だと感じます。可愛い子には旅をさせよ、といいますが、まったくいつまで旅をすればよろしいのでしょうか。可愛い?




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