#春を迎えるということ
- toshiki tobo
- 2023年2月26日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年2月27日
この時期の夕日はそこまでオレンジではないような気がします。マジックアワーのグラデーションがそう思わせているだけかもしれません。夕日は、サーモンピンクのような、でも、もっと日本的な、焼き鮭を焼き過ぎてしまったような、冷めてしまった焼き鮭のような、そんな色に思われます。サーモンというより鮭の方がしっくりきます。しかし、紅鮭と表現するとあまりにも発色が鮮やかすぎる気がします。もう少しだけ曖昧さを残したカタカナ寄りの色味に感じられるのですが、うまく表すことができません。でもやっぱり、違うような気もします。もう少しじっくり観察をしてみたいと思います。
生活のなかで過去の経験がバイアスとなり、正しい判断を下せないことがあります。“こうだ”と思っていたことが、その通りではないことはしばしばです。歳とともに少しずつ断捨離できるようになってきた見栄やプライドがそれを教えてくれます。視野を広げて種々の可能性を考えなくてはなりませんよね。
さて、明るい言葉が口からこぼれることが多くなりました。やっと冬が終わります。季節は巡り、春を迎えようとしています。大好きな夏がいよいよ始まるのか、と本格的な春さえ来ていないのにもかかわらず、かなり前のめりになって、暖かな季節の到来を祝福しています。僕の冬は、毎年だいたい10月の半ばあたりから始まり、2月終わりの今頃の時期に終わりを告げます。毎年この4ヶ月は辛抱の期間と自分に言い聞かせ、自分の機嫌に振り回されない努力をしています。
夏の自分と冬の自分とでは、自分でも驚くほどに心のもちようが違って、それが外に出ないように飼い慣らすのが難しいです。できる限り外へ出て、できる限り人に会い、自分では埋められない溝や、暴れ出しそうな自分の心をなだめてあげたりなどしています。頼れる時に、頼れる人、もの、こと、に最大限手を借りて、なんとか今年も乗り切ることができました。
それにしても、今年は例年稀にみる、ひどくしんどい冬でした。冬場にはじめてお会いする方が幾人かいらっしゃったので、その時自分が正常にふるまえていたのか、ただただ不安でなりません。また、夏に出会った方々に対しては、冬へ向かうにつれて沈んでゆく自分を晒していたことを鮮明に思い出されますので、本当に申し訳なく思っています。しかし、その両方をもってして自分自身なわけですので、どうか、広い心で受け止めていただけたら嬉しい限りです。
基本的には笑っていたい性分ですので、人前でおどけてみせることが好きな僕ですが、いつもそうあることは残念ながら叶いません。無理をした時はもちろんその反動も真正面から受け止めなくてはなりません。さすがにそれは難儀を極めます。
この備忘録は、自分の聖域であるだけではなく、遊びに来てくださる方の憩いの場にもなればいいなと思っています。同時に、声にしづらい伝言や報告をそっと置いてゆく場所でもあります。今日は報告の意味合いが濃いのではないでしょうか。ここに登場する僕が、陽気であっても、沈んでいても、それ以上でもそれ以下でもないものとして文面通りに受け入れていただけると、心の荷を下ろすことができます。ただ、そうしていただくためには、それに足るだけの証明をし続けなくてはなりません。
大丈夫そうな人は大事にされにくいという言葉をどこかで聞きました。こんなに不安定なのに、なぜかそう思われることが今まで多かったように思われます。これもまた、自分にかけられた“バイアス”なのかもしれませんね。他人に自分の理想や、そうであってほしいという架空の人物像をおしつけないようにご用心ですね。
誠実な人だと思われたいという欲が心にこびりついて久しいですが、その欲が幸いして誠実にふるまえていたとしたら嬉しいです。
ayuより先に輝き出す直前の僕の近況のご報告でした。さよなら。

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