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#桜にまつわるエトセトラ

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年4月1日
  • 読了時間: 3分

つかみどころのないふんわりとした春の暖かさは

ずっとずっと浸っていたいとそう思わせる。

大好きなオレンジ色のその暖かさは

誰しもに無条件に寄り添ってくれる。


今年もまた桜が咲いた。

咲いたと思ったのも束の間、

昨晩の雨でところどころ葉桜となってしまった。

刻一刻と変化する、その移ろいゆく姿は

人の世の儚さを揶揄するようで。

大切な一瞬を見逃さないように気をつけないとね。


先週、お母さんと電話をした。

誕生日おめでとう、の電話だったんだけど

桜をみて思い出した小さな頃のおぼろげな記憶の話をした。


山のうえの小高いところで小さな頃に見た桜。

お母さんの運転でおばあちゃんと行ったような。

その記憶はすりガラスを通して見るような

わずかに残る曖昧な記憶。


すこしの確認があって、あの時のね、と

お母さんがどこでいつ頃見たのか教えてくれた。

そしたら、みるみる記憶が蘇ってきて

境界のない色と色とが輪郭をもち始めた。


桜の木、青空、お母さん、おばあちゃん、

そして車いすに乗った宮原のおばあちゃん。

はっきりとしてきた。


宮原のおばあちゃんは、おばあちゃんのお姉さん。

以前はおばあちゃん家の近くで一人暮らしをしていたんだけど

脚がよくなくて、おばあちゃん家で暮らしていた。

一人暮らしをしていた地名にちなんで

宮原のおばあちゃんと呼んでいた。

物知りで、本が大好きなおばあちゃんだった。


みんなで見た桜を突然思い出した。

小学校に上がるか上がらないかぐらいの小さな頃の記憶。

お母さんは覚えていた。


また行きたいな、綺麗だったな、と

その記憶を頭の中のよいところにしまい直した。


言葉に定義があるように、

物に形があるように、

記憶にも輪郭があるはず。


その輪郭が薄く、細く、ほころんできたとき

記憶は風化し、曖昧になり、

やがて色が混ざり合ったパレットようになる。


誰かの導きで蘇ることもあれば

もう二度と蘇らないこともある。


ただ優しそうに思われる桜咲くこの季節が

「忘れないで」の警鐘をならしている。


ふんわりとパステルカラーに染まる街で

確かに残る僕の記憶がビビットに蘇った。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

最近の備忘録はどこか小説まがいで

何となく小恥ずかしい。

ここ半年まともに本を読んでいなくて

先日の京都出張の際に新幹線で

未読の小説を読み始めた。

が、すぐに酔った。

仕事柄活字ばかりで、文字から離れたいと

身体が拒絶をしたのだろうかね。

それでもやはり、言葉を残して誰かに何かを伝えたいと

そう思っている。

輪郭を無くした誰かの記憶が

亡くなってしまわないように願ってみたりする。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。



 
 
 

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