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#私以外私じゃないの

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2022年12月11日
  • 読了時間: 4分

更新日:2023年1月16日

友人が僕の書く文章をしっとりしていると言ってくれました。「化粧水じゃないんだから〜」と心の中でツッコミを入れてみたりもしましたが、感想をいただけることは素直に嬉しいです。内容もそうですがもともとの根暗な性格も相まって、自身の備忘録をメタファーの墓場だと思っていましたので、少し気分が上向きになりました。人の感想は自身の学びです。友人のまなざしに造詣の深さを感じました。


季節は巡り12月に入りました。あちらこちらで今年のまとめがなされています。周囲の雰囲気にのまれ、まとまらないものをまとめようと、にわかに躍起になってしまっていることに嫌気がさしています。が、しかし、頭の中ではしっかり今年のおさらいなどをし、過去を思い返しては、泣いたり笑ったり(西野カナ)を繰り返す始末です。自分の呼吸で生きることのいかに難儀なこと。本当に難しいことです。


寒さを伴う悪天候と共にやってきた12月ですが、ここ数日は晴れ間が見え、ほっと胸を撫で下ろす気持ちでいます。日光がこんなに気持ちよく感じるのは雨の日や曇りの日があるからだと人は言いますが、「晴れの日は長く続けば続くだけいいのでは?」と頑なになるのが僕です。晴天に対する強い欲望は呪いにも似た念となり年々強まるばかりです。


日本では赤で表現される太陽ですが、太陽の色は国によって異なることをどこかで耳にしました。日本のように太陽を赤で表現する国は少数派で、赤道直下周辺に位置する一部の国だけのようです。多くの国ではオレンジや黄色といった色で表現するのだそうです。それから、生まれもった自身の瞳の色によっても見え方が異なるようです。そうでなくとも、見え方はいくつもあっていいよな、と思います。青い太陽だってなんとなくですが、かっこいいと思いませんか?(バンギャ卒)


小さなころクレヨンや色鉛筆などのなかに「はだいろ」という色がありました。当時はなんの疑問もなく、その色を使って人を塗りつぶしていましたが、今思えばかなりの力技だったと当時を振り返ります。同じ国籍や人種であっても、人はそれぞれ肌の色は異なります。当たり前のことですが、室内で過ごすことが多い人と屋外で過ごすことが多い人とでも肌の色はまったく異なります。それに最近では、やれブルベ、やれイエベなどと耳にするようにもなりましたよね。


生活の中で無意識(無神経?)な力技に遭遇するビックリ体験がわりかし多く、バケモノよりも生身の人間の方がよほど怖いと感じます。人の足を踏んでおいて踏まれる方が悪いとか、歩くのが遅いから仕方がないとか、そのような類のことです。一方の都合や主観や価値観などによって、他方が理不尽を被ることが多いと感じざるをえません。なんとなく合わせてはいますが、そもそも人は歩くスピードや歩幅は皆違って当然なのですから、自分の都合に人を合わせるなんてナンセンスです。赤の他人ならなおのことです。


こういう文脈で精力的に活動されている言葉が「多様性」なわけですが、最近出演オファーが多すぎて過労死ライン超えなのでは?と心配です。言葉があまり大切に扱われていないような気がします。「なんとなく使用さえしていれば、よい塩梅に収まるだろう」というような空気感を肌で感じます。(ひな壇芸人じゃないんだから)


「多様性」を口にする人はあたかも寛大なように思われますが、眉唾ものだと思います。生クリームが苦手だと言っているのにも関わらず、「10種類のシュークリームから好きなの選んで〜」と言ってしまうタイプの人を知っています。「生…クリーム…食べ…れ…汗」「なんですって!?こんなに選択肢があるのに、それを蹴るだなんて生意気ネッ!?」と言ってしまうタイプです。ズレてるのです。シュークリームを10種類ではなく、ケーキやアイス、おはぎ、月餅、などのように幅があると嬉しいですよね。「ソチ(オリンピック)の考える多様性(仮)をあちきに押し付けないでおくんなんし〜」と願うばかりです。そういうことです。(叶恭子)


厚顔無恥は怖いし、偽らない心は大切だよね、というお話でした。(きっと)

伝えたいけど伝わらなさそうな仕上がりになってしまいましたが、今日はもうこれでいいです。







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