#立ち止まる
- toshiki tobo
- 2022年9月12日
- 読了時間: 3分
やっぱり夏はすぐに終わった。
余熱を帯びたコンクリートを歩く背中を
秋風が追い抜いてゆく。
「仕方ない」と大真面目にマスクを付けて過ごした夏。
「涼しい〜」とマスクを外したら夏は終わっていた。
この夏もマスクと過ごす夏だった。
まったくもって、ここまでマスクを付けさせられる人生になるとは誰が予想しただろうか。
「喋るな。黙ってろ」と言われているようで
内心腹立たしかった。
それにしても、今年の夏は黙っていられない夏だった。
右を見ても左を見ても「譲れないんだな」と
ぼそりと呟きたくなった。
最近、僕の中でヨガ界隈が熱い。
正直なところ、もうずっと熱い。
「ホットヨガだからね」という誰かの声が
たらいとともに頭に落ちてきた。
目には目を。歯には歯を。
昭和のボケには昭和のツッコミを。
そういうことではない。
「そもそも人は完璧であって…」
ヨガの先生の教えに、魂が震えた。
「だけどもそうでない時があるからメンテナンスをするのです」
と言葉が続いた。
何度も何度も人から言わなければ
大切なことは身に沁みてこない。
これもそのひとつ。
鏡の前で鏡を壊す勢いで唱えないと身に沁みてこない。
理想の姿を追い求めるのは結構。
だけど、未達の自分を責めるのは違う。
求めては責めての堂々巡りをしていたら
人生は「マッ!?」という間に終わってしまう。
「最近はヨガをしていて」などと人に話すと
「丁寧な暮らしっ!!!(アヒャヒャ)」と返ってくる。
本当にそうなのだろうか?
むしろみんな大丈夫なのだろうか?
しんどくないのだろうか?
辛くないのだろうか?
心配だ。
余裕しゃくしゃくに暮らせるほど
暇な時間は与えられていない。
むしろ、考える暇さえ与えられないぐらい
余裕のない世界に放り込まれているような気さえする。
みんな何かに怒っているのに
その正体をよく知らずに戦っている。
一体、相手は誰?
怒りの矛先、そこであってる?
心配だ。
自分自身の状態がどうであるのか
笑ってしまうぐらい分からない時がある。
基本的に分かってはいない。
だから無理をする。
そして余裕を無くしてゆく。
体調を崩すのだってそのせいだと思う。
その割に「私って、こういうタイプだから」などと
トンチンカンを言ってしまったり、しなかったり。
だから、大切な誰かがよかれと思って教えてくれるアドバイスには
耳を傾けた方がよいと僕は思っている。
その人たちには自分には見えないものが
きっと見えている。(ホラーじゃないよ)
誰かが警鐘を鳴らしているうちはまだいい。
それが無くなってしまったら、もうそういうことなんだ。
何のためにヨガをしているのかと聞かれたら、
今の自分がどんな状態なのか知るためと答えるかもしれない。
こうでもしないと、大丈夫なのか、そうでないのか、
今の僕にはまだわからない。
だからとりあえず人にもヨガを勧めてみたりなどする。
特に危なそうな人には真剣に話す。
強要はしない。
壺を売ったり、本を売ったり、
ありがたいお水を売ったりもしない。
とりあえず、僕の話に耳を傾けるだけの時間を譲ってくれたら嬉しい。
明日も譲れぬ人々でひしめき合う通勤路を僕は歩く。
みんな何かに急かされながら、
プンプン怒って、かわいそう。
いつか自分がどんな状態かわかる日が来るといいね。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
かくいう僕も前のめりになりがちで、
「アヤヤッ!(松浦!?)」などと
冷や汗をかいたりする。
そういう時は動くのを止める。
仕事の時はとりあえずトイレに行く。
すると5分前のことが思い出せなかったりする。
何かに急かされてた5分前のことって
そんなに重要じゃなかったんだね。
そんなもんなんだ。
前のめりに過ぎてもお得なことなんてほとんどない。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。

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