#単発の花火はもう上がらない
- toshiki tobo
- 2024年10月21日
- 読了時間: 2分
8月末に30歳を迎えました。僕は、大黒摩季の「夏が来る」と同い年で、ミスチルの「innocent world」と同い年で、X JAPANの「Rusty Nail」と同い年で、大谷翔平と同い年です。
誕生日は、残業をしていました。これが今時のサラリーマンの誕生日で、30歳を迎える人の誕生日だとも思いました。働く時間の長さが、加齢とともに増え続ける職責をあらわしているように思われました。尻拭いの星があるのならそこが僕の出身地なのかもしれません。
などとも思おうかとはしましたが、「そんな訳あるかゴルァ!!」と1時間後に突然ムカッ腹が立って参りましたので、「バタリッ!!!」とノートパソコンを押しつぶし、「こんな会社潰れてまえッ!!!」と6万ヘルツの奇声をあげながら、GO! GO! 〜夢の速さで〜(安室奈美恵、1995年)帰路につきました。
30歳ってもっと大人だと思ってた。
およそ20年ぶりに家族で花火大会に行きました。地元の花火大会です。誕生日の翌日に帰省をし、みんなで出向きました。約20年前のあの頃は、花火大会となれば実家に親戚が集まってきて、母と祖母がひっきりなしに働いていた記憶があります。料理を出しては洗い物をして、出しては、洗って。深夜まで洗い物が終わらなくて大変だったと母は言っていましたが、賑やかで楽しかったとも言っていました。本当に「お祭り」だったんだな、と当時を振り返りました。
あの頃バリバリの現役だった祖母はなくなってしまいましたが、姉の夫が家族に加わり、新しい家族で花火を観覧しました。僕にとっても花火大会は約10年ぶりで、その時はフランスにいました。留学の終盤、建国記念日あたりに見たような記憶があります。壮大な音楽のリズムに合わせて計画的に打ち上げられる花火は、新鮮で、スペクタークルという表現がピッタリな横文字な花火でした。幾何学的な左右対称に打ち上げられる花火は、フランス庭園に見られるような造形美で、「これもまた一興どすなぁ。花火さんも頑張ってはるわ〜。」と日本の花火にえらく贔屓をしましたが、地元の花火がほとんどフランスで見たそれになっており、「グローバリズム...」となりました。
ひゅ〜、どんっ、しゃぁ〜、ひゅ〜、どんっ、しゃぁ〜、と音を鳴らす単発花火がなんだか恋しくなりました。音に合わせて、予想して、驚き、光が舞い落ちる儚さに感動をする花火はもうないのでしょうか。YouTubeだけではなく、ドラマや映画などが2倍速で視聴され、音楽もイントロが気嫌いされる昨今ですので、単発上げのあの間は需要のないものとなってしまったのでしょうね。世知辛い世の中ですね。
僕も花火も色々大変どすな〜。

Comments