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#見えない日常

  • 執筆者の写真: toshiki tobo
    toshiki tobo
  • 2021年8月12日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年8月16日

お盆休みに入ってやっと通勤電車に余裕がうまれてきた。

今やお飾りと化した非常事態宣言の中、

人々は束の間の骨休みに突入した。


僕はというとこの時期が繁忙期なのである。

休みはまだまだ先。

10月まで駆け抜けてゆく。

連日の猛暑にうなされながらも

なんとか今日も1日を終えようとしている。


お疲れ様。

とりあえずそう褒めてあげることにする。


世間ではニューノーマルが浸透しつつあり

コロナの世界でもそれぞれが自由を見つけ

なんとか毎日を生き抜いている。


ワクチン話が社交辞令の挨拶代わりになっている、

そんなニューノーマルである。


1番最初の緊急事態宣言のとき、

「どうなるの?」と先の見えない未来に

誰もが不安な気持ちを抱えていた。

それが4度目となった今、

多くの人は慣れきってしまった。


でも、その感覚にちょっと待ったをかけたい。

みんなが同じ日常を迎えていると思ってはないだろうか?

同じはずがあるわけないのだ。


会社の近くにイタリアンビストロがある。

会社でちょっとお酒でもといえば、

しばしばそこへ通っていた。

コロナで心配しつつもあそこは大丈夫だろうと

みんなでそう話をしていた。


しかし、状況は相当深刻なようだった。


本来非常事態宣言が明けるはずであった7月末に

会社でお店を予約していた。

新しく入ってくれた方を歓迎しようと、

ささやかながらも祝いの席を用意していた。

小さな会社なので数人だけだが、

うまく席を離して、対策を打ったうえで、

軽く食事をしようと、そう話をしていたんだ。


しかし、宣言が延長になり、取りやめることにした。

そしたら、会社にマスターから電話がかかってきた。


- 何とか使っていただけないか。

- 支払いは現金でお願いできないか。


初めてのことに本当に驚いた。

何とかマスターを救いたいという気持ちで

お店にお邪魔することになった。


以前はいたアルバイトもそこにはおらず、

マスターがえっちらこっちらと

美味しい料理をたくさん運んでくれた。

だけども、マスターの顔はどこかどんよりとしていて、元気がなかった。


確かマスターには大学生の娘さんがいた気がする。

兎にも角にも、必死なんだと思う。

そうならざるを得ない。

助けたいと思った。


その後、お店には行けていないけど、

悪い話は耳にしていないから

何とか続けられてるのだと思う。


マスターを街中で見たらそんな事情を、

マスターの日常を、誰が想像できるだろうか。


僕らは皆大体同じだろうとそう思いがちである。

日本人は平均的な集合体だとそう思いがちである。

しかし、実のところそうではなくなっている。

誰かの生活にほんの少しでも

気遣いが施せたらいいなと思う。


今日も遊びに来てくれてありがとう。

想像力が足りないことは時に人を深く傷つける。

人の足を踏んづけておいて、

「痛がるのをやめなよ」と言っているようなものだ。

見えないところを補う想像力は、

相手への思いやりと愛だと思う。

それでは、また明日。


お粗末様でございました。










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