#なぜ、生きるのか
- toshiki tobo
- 2021年6月21日
- 読了時間: 2分
「生きることって意味があるのか?」
「それってマスクをつけることに意味を求めるのと同じことじゃないかな。」
「意味があるかなんてわからない。でもマスクをする。」
「生きることも同じことなんじゃないかな。」
昨日は映画を見に行った。
尾野真知子主演の「茜色に焼かれる」
映画を知るきっかけになったのは、
ひょんなことから目に止まった舞台挨拶だった。
尾野真知子が息を詰まらせながら、
涙ながらに「命をかけてつくった作品です」と
言っていたことが頭から離れなかった。
上映劇場が限られていて、
現在都内では渋谷のユーロスペースという
小劇場でしかやっていないようで
妊婦になったばかりの牧野さんを連れて行った。
映画の内容は正直難しいものだった。
難しいというより、言葉にならないほどに、
胸糞の悪いものだった。
そして、生きることと死ぬことが
はっきりと恐ろしいまでに鮮明に描かれた作品だった。
牧野さんは子供ができることを
ずっと楽しみにしていた。
だけども、いざ子供ができると
どうしようもなく不安になると言っていた。
それは、そうだ。
自分の中に自分以外の命があるのだから。
それは不安になって当然だ。
自分の身体のなかのことなのに
はっきりと自分ではない部分があって、
それがどうなっているのか皆目検討もつかない。
だから、映画の最中、連れてきてよかったのか
僕も不安になった。
でも見終わった後、僕はよかったと素直に思った。
映画の中には我武者羅な親子の愛があった。
どくどくと激しく鼓動を打つ心臓が
目の前に迫ってくるような
狂気にも似た命の塊を僕は見た。
なぜ生きるのか、なぜ頑張るのか、
生きたところで幸せなのか、
そんな問いで埋め尽くされた作品だったが、
「そんなのわからない」という一言が
全てを一刀両断したように思えた。
明日は自らが向かうところであって
向かわなければならないところだと
そう僕は思った。
本記事の冒頭の会話は劇中での正確な言葉ではないけれど、
僕に熱い何かをくれた言葉だった。
命懸け。
命を懸けて生きるってのは本当にかっこいい。
かっこいいことなんだ。
もし1800円が財布に入っているのなら、
この映画を見てほしい。
コロナが教えてくれた忘れてはいけないことが
この映画にはあった。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
映画を見終わった18時30分、
僕たちはお腹を空かせて街をさまよった。
「ラストオーダー19時」の言葉をこんなにも
憎らしいと思ったことはない。
おまけに、都内のJRは全線止まった。
それでもラフォーレのクレープ屋は
ネオンでピカピカだったし、
空腹のクレープはいつでもおいしいかった。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。

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