#天秤にのせられて
- toshiki tobo
- 2021年6月22日
- 読了時間: 3分
気がつけば来週で6月が終わる。
今年も折り返しを迎えようとしている。
年々月日の早さを身に沁みて感じるが
コロナ禍になってからはそれがより一層
強まったように思う。
新たに始めた試みもルーティンの1つとなった今、
もはやどうすることもできそうにない。
できる限り記録に残そうとスマホで
写真を撮ったりなどしてはいるものの、
外出機会がさほど多くないせか、
数回スクロールをすればすぐに昨年の写真へ
たどり着いてしまう。
「奪われた」
そう表現することも大げさではないほどに
コロナは僕らの時間をさらっていってしまった。
何度か文字に起こしたことだけども、
今のこの最悪な状況は人災なんだと思う。
今日、こんな記事を見た。
マスクを着けられない幼稚園児の親が
幼稚園に呼びだされ他の保護者から
集中砲火を受けたそうだ。
「かもしれない」の憶測が、
現に今苦しんでいる人をさらに苦しめようと
しているのだ。
まずは事実を受け入れるべきなのに
どうしてまだありもしないことを優先しようと
するのだろうか?
命が天秤にかけられている。
そんなことあってはならないのに。
トロッコ問題を思い出した。
あなたは暴走したトロッコを2つの内どちらかの
レールに進むようレバーを切らなければならない。
一方には最愛の人が横たわっている。
もう一方には顔も知らない人たちが横たわっている。
しかし、そちらには10人もの人がいる。
あなたなら、どちらにハンドルを切るだろうか。
命の重さは量なのか質なのかを問うこの問題が
現に今起こっている。
で、僕も含め多くの人はどちらにレバーを切ろうか
悩むわけなんだけれども、そこにはもう1つ答えがある。
「レバーに触れずそこから立ち去る」
怖いよね。無関心というやつだ。
レバーを切ってしまったら、
必ず理由を求められ、賞賛も非難も
一挙に引き受けることになる。
それが嫌だから関わらない。
そういう人もいるわけなんだ。
世界はとても残酷で、
みんなを救うことなんてできやしない。
「そんなことはない!」と言われそうだが
実際に人の命は天秤にかけられている。
その前提をまずは知り、受け止めることが
何よりも大切だと思う。
人の命が平等ではないと知るからこそ
平等になるように活動が起こるし、
誰かの分まで命を全うしようと
人は前を向いて歩こうとするんだ。
波風立たない世界こそが本当の平和とは
僕は思わない。
だって世界には人がうじゃうじゃいるからだ。
人はそれぞれ別の生き物。違って当たり前だ。
学び、賢く生きることが、求められている。
この残酷な世界でどう生きてゆけばいいのか
正直僕にはよくわからない。
だけども今日もない頭をしっかり使って
命を全うしたいと思う。
時間だけではなく、生きる活力も奪われては
たまったもんじゃない。
命燃やして生きてゆこう。
今日も遊びに来てくれてありがとう。
今日は朝からとてもお腹がすいていた。
変わったことは特にないけど、
頭を働かせていたのかな。
頑張った自分を褒めてあげたい。
でも本当は誰かほかの人に褒めてほしい。
ゆとり世代は褒めて伸びるから。
それでは、また明日。
お粗末様でございました。

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