#人は図書館のようなもの
- toshiki tobo
- 2023年3月27日
- 読了時間: 6分
更新日:2023年3月28日
3月初旬に地元の山梨へ帰省をしました。帰省の際はできる限り墓参りに行くのですが、ここ数年は実家の物置にしまわれているアルバムや先祖の残した記録を眺める時間がとても多いように思われます。不思議なもので地元に戻るとそこでは時が止まっているように感じます。いつまでも誰かの子供としての自分がそこには生き続けていて、地元に足を踏み入れるともうひとりの僕が、知らずのうちに、ひっそりと、溶け合うように、心へ入り込んでくるような気がします。憑依のようでもありますが、自らを乗っ取られるような強制的なものではなく、地元から離れ東京の自宅へ着いてしばらくした後に「あ、自分に戻った」と気づくようなものです。都会のように目に見えやすい形で資本主義が存在していないことや、行政による利己的で恣意的な派手な“ほどこし”すらなされていない、時がゆっくり進む田舎だからなのかもしれません。
今回の帰省は久々に鈍行での帰省を試みました。自宅の最寄りからは2回の乗継ぎで約3時間の道のりです。高尾で懐かしの水色のラインが引かれた中央本線の車両に乗ったのですが、その車内の閑散とした雰囲気と、どこからともなく漂う哀愁の気配を感じ、一足先に地元へ足を踏み入れたかのような錯覚に陥りました。車内広告はJRと思しきもの以外見当たらず、自分が上京前に与えられていた情報がいかに限定的であったのか、まざまざと思い知らされることになりました。通学で電車を使用していた高校生の頃は、どの車両もボックス席でしたが、古いながらも現在は少々現代化が進んでいるようでロングシートへ変わっていました。相変わらずデカい音を立てながら大きく揺れる車内ではありましたが、人声はなく、その床にうっすら残るシミがやけに目立って見え、なんとなくそこから目を離せすことができませんでした。
さて、墓参りは同居していた父方の祖母への挨拶のために赴きます。墓地は、実家から車で5分ほどのお寺の一角に据えられています。墓参りに行けなくとも、仏壇に線香をあげ、お鈴を鳴らし、手を合わせる一連の動作は必ず行っています。ご飯が炊けたタイミングであれば、仏壇へお供えするのとともに行います。数分にも満たないその時間は僕と祖母が繋がっていられる、かけがえのない時のように感じます。手を合わせているその間、最近の出来事や思っていること、感じていることをぶつぶつと報告をしています。線香から立ち上る煙がモヤのように空間を泳ぎはじめ、呼吸のたびに鼻の奥へと潜ってゆきます。決して返事が戻ってくるものではありませんが、身体の中で忘れかけてた祖母の声が広がるような気がします。
同じ人として触れていた祖母ですが、いざ仏壇を前にすると、もう触れることのできないのか、とその体温を思い出してはいつも寂しい気持ちになります。母方の祖母の墓地は残念ながら少し離れたところにあり、なかなか手を合わせに行かれないことが悔やまれます。仏壇も母の実家にしかないので、遺影を見ながら言葉をかけることすらできず申し訳なく思います。生前も会う機会がそこまで多くなかっただけに、祖母が寂しい思いをしていないか心配です。
墓参りのたびに、墓石に刻まれた先祖の名を見ては、これは誰々で、と父が説明をしてくれます。この話だけは何度でも聞きたくなります。父方の墓地は親戚に区画を半分わけていただいたこともあり、自分の家のものとは別に、苗字が異なる親戚の墓石が建てられています。親戚の墓石は2つあり、1つはその家の墓石で、もう1つは太平洋戦争で亡くなった軍人の墓石です。軍人の墓石は背丈が2メートル程あり、正面には戒名でなく階級と氏名が刻まれています。そして側面には所狭しと戦時下でのその人の記録や戦果が刻まれています。それを見ると心が苦しくなります。軍人の墓石は親戚のものだけでなく、他の区画にもいくつも見られます。こんな田舎から誰も知らない土地へ駆り出された当時の人へ思いを馳せると、どうしようもなくいたたまれない気持ちになります。
人が死ぬと途端に神聖なものとして、恭しく扱われるよう気がします。でも、死ぬ前に人を大切にできたほうがずっといいと僕は思います。国民栄誉賞なんかも、生きているうちに「よくやったよ」と褒めてあげた方が絶対にいいに決まってます。この日は父がいつもよりずっと長い時間手を合わせていたことが強く印象に残りました。
僕がこうして墓参りに行ったり、実家でアルバムや先祖が残した記録を遡ったりするのは、過去を大切に脳裏に焼き付けることを自らの罪滅ぼしだと感じているからだと思います。恐らく僕は、先祖が僕へ残してくれたのと同じように、同じ血筋の誰かに記録を綴ることを委ねることが叶いません。なので、仏壇に線香を供えたり、墓石の前で手を合わせたりし、先祖を偲ぶだけでは足りない気がしているのです。それ故に、残された記録を頭に叩き込み、確かに生きていた証を受け取り、血ではなく心で繋げる試みを繰り返すことが使命だと感じています。これは僕があえて背負うことを決めた原罪です。
数日の帰省を終え、霧雨の降る地元を後にし、ふたたび鈍行に乗車して帰路につきました。高尾までの約1時間半、窓に映るのはくどい程の森です。散見される民家に人の営みを感じつつも、それを制して事足りない、仰々しいまでの緑が畳み掛けるようにして現れます。さらに、山から湧き立つ湯気が秘境のような幻想的な雰囲気をより一層強め、この世でないところを旅しているような気分にさえさせます。いつか見た、掛け軸の水墨画を想起させます。思いの外長く感じるこの時間は、僕が逃げるようにしてとっているもうひとりの自分との距離を表しているように思われます。それは理性的に生きるために必要な距離を意味しており、この場所の往来が心のスイッチの切替えの役割を担っているのかもしれません。
「人が亡くなるということは、図書館をひとつ失ったようなもの」。所属する書道会の偉い先生がそのような言葉を残してこの世を去ったと会誌で知りました。まったくその通りだと思います。人の生き様は言葉では尽くせない、膨大な情報で詰まっています。それは時に強烈な衝撃となって訴えかけてくることもあります。たとえ図書館を失っても、そこにあった本がひとつでも多く誰かのもとへと引き継がれたらいいな、と願っています。
もしかしたら、地元の時が止まっているように感じるのは、そこに散らばった本を拾い集める必要があるから、なのかもしれません。そして、もうひとりの僕がいつまでも付きまとってくるのは、帰省により感傷的になったからでも、幼心が表にでてきたからでもなく、彼が時の番人となり、僕がそうすることをずっと待ち続けていたから、なのかもしれません。時が過去を洗い流してしまう前に、ひとつでも多くの本を小さな僕の図書館へ迎えいれたいと思います。
奇跡体験!アンビリバボーのような仕上がりになってしまった僕の記録でした。

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